【巨匠・倉本聰の言葉に学ぶ人生のヒント】
第3回
快感よりも「感動」を
日本でテレビ放送が始まったのは1953年(昭和28年)だ。ドラマもまた約70年の歴史を持つ。倉本聰が感じる、ドラマの変化とは何だろう。
「何が違うんだろうと思ったら、昔はね、作品というのは感動が目的だったような気がするのね。ところが、今は快感になっちゃってんじゃないか。
確かに面白いんだけど、残らない。感動というのはやっぱり心に確実に残る、心の財産になるぐらいのものですよね。
快感にはね、暴力があり、殺戮があり、残虐があり、恐怖があり、スリルがあって、だけど刹那的なんですよ。感動みたいに心に恒久的に残るものはない。
でね、感動を呼ぶものの原点って何なんだろうって、これを、ずいぶんいろいろ長いこと考えてんだけど、結局集約するとね、愛ってことに突き当たっちゃうんだよね。恋愛を含めて、兄弟愛、家族愛、友人愛、その愛というものがやっぱり永遠のテーマだって気がして」(「脚本力」から)
日本人自体が、あるときから快感を求める方へ行ったのかもしれない。80年代の「北の国から」の時期、日本全体が感動から快感へと向かっていたことに倉本が反応した。「そっちじゃねえだろ」という思いが、あのドラマにつながったのだ。
愛は人を動かす。人が何か本当に大事なことへと踏み出すとき、奥底に愛があるというのが倉本の持論だ。
(日刊ゲンダイ 2022.11.18)