「エルピス」で感じる長澤まさみの“凄味”
エンドロールの参考文献で読み解くストーリー
今期のドラマは『PICU 小児集中治療室』『アトムの童』『silent』『ザ・トラベルナース』など話題性の高いドラマが少なくない。メディア文化評論家の碓井広義氏は、中でも最も注目しているのが『エルピス―希望、あるいは災い―』だという。その理由を寄稿いただいた。
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とんでもないドラマが出てきたものだ。
長澤まさみ主演『エルピス―希望、あるいは災い―』(カンテレ制作・フジテレビ系)の初回を見終わって、そう思った。
何しろ、テーマが「冤罪」である。無実の罪であり、濡れ衣だ。犯人でない人間が犯人だとされる冤罪を生むことは、警察だけでなく検察や裁判所の大失態でもある。
また、自ら取材して真相を明らかにしたのではなく、警察の発表をそのまま流したのがマスコミであるなら、それは冤罪に加担したことになる。
冤罪が明らかになった時、公権力とマスコミの双方に生じる「軋(きし)み」は大きい。そんなテーマを、テレビ局を舞台に描こうというのだ。やはり「とんでもないドラマ」である。
テレビの現場の「リアル」
主人公の浅川恵那(長澤)は報道番組のアナウンサーだった。しかし、「路チュー」写真でスキャンダルが発覚し、左遷される。現在は『フライデーボンボン』なる、ゆる~い情報バラエティ番組のコーナー担当という“冷や飯”状態だ。
ある日、浅川は番組の若手ディレクター・岸本拓朗(眞栄田郷敦)から相談を受ける。最高裁で死刑が確定した少女連続殺人事件。その容疑者の男・松本良夫は冤罪であり、真相を一緒に追及して欲しいと言うのだ。
岸本には似合わない真面目な話だったが、実は松本と関わりのあったヘアメイク係の「チェリー」こと大山さくら(三浦透子)に脅されての依頼だった。少女時代の大山が松本の家に滞在していたことで、「ロリコン殺人」などとマスコミが騒いだのだ。
浅川のアドバイスで、岸本は報道局の人間に冤罪企画を提案するが一蹴される。
「誰も自分たちが報道したことの責任なんて振り返りたくないんだよ」と浅川。
「冤罪ってマジで大変だよ。蒸し返されるとマズい人がいっぱいいて、そういう人がやたら圧かけてくる。上から、よく分からない理由で表現を曲げさせられたりとかさ」
現在の浅川はストレスの塊だ。眠ることも食べることも困難で、いわば崖っぷちにいることを自覚していた。浅川は自分を再生させるためにも、この冤罪企画の実現を考え始める。
もちろん、簡単にはいかない。企画書を読んだ『フライデーボンボン』のプロデューサー、村井喬一(岡部たかし)が浅川たちを罵倒する。
「いいんだよ。闇にあるもんてのはな、それ相応の理由があって、そこにあるんだよ。お前如きが、玩具みたいな正義感で手出ししていいようなことじゃねえんだよ! 冤罪を暴くってことは国家権力を敵に回すってこと、わかるか?」
これに対して浅川は、「あたしはもう、わかりたくありません!」と啖呵を切った。おかしいと思うことを飲み込むのは、もう止めようと決意したのだ。
テレビの現場のリアルを、これだけ反映させた強いセリフの応酬など、なかなか見られるものではない。そこにあるのは、このドラマの佐野亜裕美プロデューサーと、脚本の渡辺あやが抱え持つ、肝の座った「覚悟」だ。
制作陣の「覚悟」
番組のタイトルに続いて、こんなクレジットが表示される。
「このドラマは実在の複数の事件から着想を得たフィクションです」
つまり、ドラマという架空の物語の形を借りて現実と向き合っていくという「闘争宣言」だ。
さらに番組の最後では、9冊もの「参考文献」を明らかにしている。
▼菅家利和『冤罪 ある日、私は犯人にされた』(朝日新聞出版)
▼菅家利和、佐藤博史『訊問の罠――足利事件の真実』(角川oneテーマ21)
▼清水潔『殺人犯はそこにいる―隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件―』(新潮文庫)
▼小林篤『足利事件 冤罪を証明した一冊のこの本』(講談社文庫)
▼佐藤博史『刑事弁護の技術と倫理 刑事弁護の心・技・体』(有斐閣)
▼下野新聞社編集局・編『冤罪 足利事件 「らせんの真実」を追った四〇〇日』(下野新聞社)
▼佐野眞一『東電OL殺人事件』(新潮文庫)
▼高野隆、松山馨、山本宜成、鍛冶伸明『偽りの記憶――「本庄保険金殺人事件」の真相』(現代人文社)
▼日本弁護士連合会人権擁護委員会・編『21世紀の再審――えん罪被害者の速やかな救済のために』(日本評論社)
注目すべきは、9冊のうち5冊までもが「足利事件」関連の書籍であることだ。
1990年5月12日、栃木県足利市内のパチンコ店で当時4歳の幼女が行方不明となり、翌朝、市内の渡良瀬川河川敷で遺体が発見された。
幼稚園のバス運転手だった菅家利和さんが有罪判決を受けて服役。しかしその後、本人のDNA型が犯人のものとは一致しないことが判明し、再審のうえ無罪が確定した。
このドラマには、現実の足利事件に対する制作陣の見方や捉え方が、何らかの形で反映されていくはずだ。
そこには警察の失態だけでなく、テレビを含むメディアが何をして、何をしなかったか、という問題も含まれる。かなりスリリングな試みなのだ。
長澤まさみの「覚醒」
このドラマの長澤まさみには、これまでにない「凄み」がある。
自分を押し殺し、生ぬるい日常に埋没していた浅川。しかし、今回のことをきっかけに自分を変えようとしているのが、現在の彼女だ。そこにはかなりのリスクがあるが、それも覚悟の上だろう。
そんな浅川と、女優として新たなステップへと進もうとする長澤が、どこか重なって見える。不自然さを感じさせないリアルな凄みは、一種の「覚醒」の産物かもしれない。
それを支えているのが、プロデューサーの佐野や脚本の渡辺などの制作陣だ。
最近の佐野が手掛けてきたのは、『大豆田とわ子と三人の元夫』(カンテレ制作・フジテレビ系)であり、『土曜ドラマ 17才の帝国』(NHK)である。どちらもテレビの常識やドラマの定型を蹴散らすような快作だった。
しかも、今回の『エルピス』を含め、いずれも2020年6月まで所属していたTBS在籍時代から練ってきた企画であり、その実現のためにカンテレ(関西テレビ)へと移籍したのだ。こんな「1本入魂」の作り手、見たことがない。
渡辺もまた、只者ではない。尾野真千子主演『カーネーション』で、NHKの朝ドラに異例の「不倫」を持ち込んだ脚本家である。
さらに、大根仁監督による緩急自在の演出とキレのいい映像も長澤を輝かせている。
戯画化とサスペンス
冤罪を覆す手立ては二つしかない。一つは容疑者の無罪を証明すること。もう一つは真犯人を見つけることだ。もしも容疑者とは別の真犯人が存在するなら、新たな犯行が続くことになる。
浅川と岸本は、まず事件当日の松本の動きを検証することからスタートする。
だが、そもそも松本は本当に無実なのか。物語の発端となる大山の証言は真実なのか。岸本が抱える闇はどんな形で露呈してくるのか。
テレビというメディアを際どい戯画化によって批評しながら、冤罪をめぐる緊迫感のあるサスペンスドラマとして成立させているのが、この『エルピス』である。
佐野も、渡辺も、ハイレベルな“確信犯”と言っていい。「次はどうなる?」という視聴者の興味に応えつつ、時には見事に裏切るような展開が期待できそうだ。(一部敬称略)
碓井広義(うすい・ひろよし)
メディア文化評論家。1955年生まれ。慶應義塾大学法学部卒。テレビマンユニオン・プロデューサー、上智大学文学部新聞学科教授などを経て現職。新聞等でドラマ批評を連載中。著書に倉本聰との共著『脚本力』(幻冬舎新書)、編著『少しぐらいの嘘は大目に――向田邦子の言葉』(新潮文庫)など。
(デイリー新潮 2022.11.07)