旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

ヤン 61 話

2009-12-04 20:08:52 | 日記
9月20日 晴れ

 仕事も無く、オフィスの中をブラブラする日が今日も始まった。全くやりきれない。(オフィスの中をブラブラ、それが仕事なのに気付いていないなと、今 思います。日本人は何かしなくては、悪の如く思うのです。)
 
 そんな時に大学の友人2人からガムが届いたので、早速みんなに分けたのでした。直ぐに返事を書きましたが、彼らも元気であるとの事でありました。
(なんで、ガムか今となっては分かりません。済みません。日本出てから3ヵ月と11日)

 昼からは、デンマーク語の勉強をケッド(これが、誰だか分かりませんが、多分寮生)を相手に勉強をしたのでした。全く難しい発音ばかりで、みんなの笑いを買うばかりでしたが、彼は一生懸命、熱心に教えてくれたのでした。デンマーク語は難しいけど、覚えなければいけないと、こちらも必死に覚えようとしたのでした。ヤンも入って来て、色々と教えてくれたのでした。
(デンマーク語で一番典型的なのが、未だに忘れていないグゥォド グゥォドメェド フルゥウデポ、これが口の中で言うので上手く書き表せ無い言葉で、意味はボールの中へ大量のイチゴジャムに沢山牛乳をいれて食べるもの。やってみると美味しいものです。全般的に私の知っているデンマークの食べものは、甘いものが多かった様に思いました。)

 ヤンについては、初め面白い人だと思っていたけど、実際は真面目で鋭い所を持った人と思い始めてきました。服装は何時もラフで楽天的すが、私も注意されたりします。
 そんな彼は、ヨットで世界中を4-5年かけて回ったりしてユニィークな経歴をもつ人であった。どう見てもバイキングの生き残りとしか、言いようがありません。

 日本なら彼の様な経歴でこの職につくのは難しいと思いました。しかし、彼の独自独特の経験がこの施設にいる子供達に助けになり、役立つのも確かでした。みんなは兄貴と言うかおじきと言う感じで接していました。

 今は現在の日本では多少は違うと思いますが、挫折なく難関をパスして良い学校をでた人がこんな施設で働けるはずが無い思います。
イロイロな悩みや問題を持った子ばかり集まった施設にそんな人はむいて無いと思うようになったのです。離婚再婚離婚した人も種種雑多な人達が教師と言うか兄貴アネキとして、この施設で働いています。

 夜にサッカーの試合を皆で見に行ったが、6クローネも払ったけどまるで面白くなく延長戦が無く、早く終わって良かったのでした。

 
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