旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

599 人生100年当たり前 Ⅱ(次回更新予定日 6月 1日第一土曜日)

2019-05-18 05:46:20 | ブログ
 「爺さん100才迄、生きろよ!」ムーとして、「来年死ぬというのか!!」99才、こんな事が当たり前になりました。金さん銀さんが元気でいた頃は、100才とは稀でした。少しの間で世の中変わりました。半面、火事や交通事故、マジカで30代で酔って階段から落ちて亡くなった人。この前知ったのですが、知人で刺されて死んだ人もいました。年と共に色々な死に方を見聞きしています。考え無くても常に死と隣り合わせ、気づくのが遅すぎますが、今まで生きているのが奇跡と思います。

 バイト先のマンションに住んでいた人の娘さん、と言っても私より少し若い方が「父親の香典返しに出したものですが受けって下さい」。それには「私たちは清め塩を使いません」との添え書きがありました。浄土真宗では葬儀の時、穢れを清めるために塩を撒く事はしない。死を穢れと受け止めること無く「死も、また我らなり」と受け止め、生死するいのちを精いっぱい生きていくこそ人間としての生き方であると書いていました。

 その方は去年の台風の夜、一人住まいで朝起きるのが辛いと夜にゴミ出しをしようとして雨の中でコケて動け無くなって、どのくらい雨の中おられたか分かりません。たまたま通りがかった人に助けられて救急車で病院に運ばれました。結果、大腿骨骨折で、そのまま入院され半年後に亡くなったそうです。「歩く時に、背中が曲がっていたら注意してね」と言っていた人、大分県人会にイソイソ出ていく姿を思い出します。

 我が父親は同じ門徒(浄土真宗は「檀家」という言葉を用いない)、かなり高い位で、そのタスキを手にして自慢げに見せてくれたのです(寄付金が多かっただけ?)。未だに基本にしているのが「門徒ものしらず」。私は、父が亡くなって以来 無神論者で通しています。その考え?を何処に行っても基準にしています。しかし、この添え書きを読んで浄土真宗を改めてというより初めて見直しました。

  どう考えても今まで生きてきた長さ以上は...間違って欲しいですが間違ってもありません。令和元年の初日に誕生日で古稀、定年退職して10年、とりあえず死んだ身の回り品から片付けています。まだ片付かないから100才迄かかるかな...生前葬はやめ、思い付きで変えるのは何時もの事です。落ち着いたら国内を廻り、知った人たちに会いに行きたい、だけど何時までも落ち着かない私です。

 
 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 598 Stan & Ollie ? 僕たち... | トップ | 番外編 600話を前に第一... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ」カテゴリの最新記事