「何にでも有難く!」マンションの管理員をしていると、デイサービスでのおやつを私の為に残して煎餅1枚、時には、柿1個、あめちゃん3個とかを3日と開けずに下さる箕面のおばあちゃん(と言っても年は10歳も変わらないので...)に有難く感謝しています。昔、兄が三つ子を授かった時に、大正生まれの京都の叔母が関東にいる兄が困っていると思い古着を送った時に、受け取った兄は古くて着せられないのを有難く感謝したと。その気持ち踏まえて、と言うより近づく為に、特に最近は受け取る時に本当に有難く頂いています。では話の続きを...
今日がユースで働く実質初日で朝は早くから目は覚めていましたが、他のメンバーは7時30分になるのに未だ起きていませんでした。突然土屋君(同僚)が目を覚ましたのでした。朝食はなかなかボリュームがあり、仕事始めは、実にいい加減で何時からとは関係なく直ぐに仕事を始めました。
今日はユース内は比較的に静かでしたが、仕事の床拭きは大変で時間がかかりました。どうにか終えて昼食の時間となり、皆で食べた食事はナカナカ美味しかったとメモっています。今ならメニューも書くのですが...
昼食の客を待ちましたが誰も来ずに結局、我々の食器を洗っただけでした。私がゲストとして泊まっていた時の人達もいたので非常に恥ずかしく思ったのでした。プライド?この時点で、そんなものもあったのでした。ただ仕事は比較的に楽でした。
仕事は収入の面の事を考えなければ自由もあり楽しそうで、三食ベット付き、4人(3プラス1)が一部屋で寝起きで、プラス1は居候の村上さんでした。面白いメンバーで、取りあえず夏はここにいて、その後は又考えれば良い事にしました。
翌日も客は少なく楽な仕事でしたので手紙やはがきをまとめて書いたりしました。ユース宛てに日本からの手紙が届くであろう事を期待してポストに、早速後輩が一人入ってきました。どうやら年上らしいが、ここでも、一日だけ早い先輩となりました。
4人部屋に5人となり居候氏のいる場所が無くなったのでした。その居候を頼って来たのが後輩であると言うのでした。結局、居候のいる場所が無くなって出なければならないとは気の毒でした。(彼がどうして働かなかったか何故居候を、全て不明です。)
ここでは一番新しく入った人間が新人教育担当になるらしく、さっそく仕事を教える担当者になりました。なんと2日にして古手になりました。
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