たいちゃんの奥の細道

~人生、すなわち旅也~

トロッコ問題とOneTeam!!

2020年04月01日 05時42分54秒 | 日記

実践、トロッコ問題と知的障害者の午後

 

昨年の秋に起こった「実践!トロッコ問題」的な話をひとつ

 

はじめにトロッコ問題とは??

「ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?」という形で功利主義と義務論の対立を扱った倫理学上の問題で、

・線路を走っていたトロッコが作業中だった5人に迫っている

・この時、あなたは線路の分岐器のすぐ側におり、あなたがトロッコの進路を切替えれば5人は確実に助かる

・しかしその別路線でも1人で作業しており、5人の代わりに1人が死ぬ

・あなたはトロッコを別路線に引き込むべきか?

 

といものです。

 

 

それでは実体験上の実践編です。

昨年秋の某日

この日は特に予定を入れず、午後から市内某所のイベントを一人で見に来ています。

 

イベントを見終え、施設から道を挟んだ反対側の駐車場へ向かう地下道の緩い上り坂を登っています。

一人で歩く俺

その後方約2mに若いカップルが歩いています。

ふと、前方を見ると、一目で知的障害者と思われる青年1名が、奇声を上げて坂を駆け下りてきます。

 

ええっ、

全力疾走ですよ、

時速30km/hですよ!

 

道はそこそこ広いのですが、距離とスピードから導き出せる「着弾時間」と、障害者の「イッちゃってる目」から、向こうから避けてもらえることは期待できません。

あと数秒でぶつかるコースで、まっすぐ突っ込んできます。

 

ここで、俺の考えは2つ

  • 俺、速やか軽やかに回避する。そうすると後ろのカップルが知的障害者に激突され、吹き飛ぶこととなる。
  • このまま知的障害者にぶつかられる。そしたら後ろのカップルは難を逃れられるかもしれないが、俺もどうなることか・・・。

 

 

さぁ、貴方ならどうする??

 

 

 

 

それでは私の出した「答え」です。

 

 

『全てを救う!!』

 

当時、テレビではラグビーワールドカップが盛んに取り上げられ、連日、大盛り上がりです。

そんなラグビーのワンシーンが頭によぎったのかもしれません。

 

俺、迫り来る知的障害者に、

真っ正面から

低めの『激タックル

 

知的障害者

俺の右肩(=相手の腰)を支点として、ガラケーみたいに「綺麗な二つ折り」になります。

何か「オフッ」とか「ゴフッ」的な声も聞こえましたが、奇跡的に双方、飛ばされること無く、俺、暴走トロッコを制圧です。

 

1分程して暴走トロッコ、何も無かったようにスクッと立ち上がり、無言で歩いて立ち去ります。

後方のカップルは「だっ、大丈夫ですか??」と声をかけてくれますが、そこはそれ、意外と(?)「丈夫そうな体型」(笑)の俺、ニコッと笑いGoodjobサインです。

 

 

なんでこんな話を思い出したかって言うと、先日の相模原市知的障害者殺傷事件の犯人で同施設の元職員 植松 聖(ウエマツ サトシ)の主張を思い出したからです。

 

U:「障害者が人間ならば、彼らが罪を犯した時、同様に裁かれるはず」

U:「知的障害を理由に裁かれないという事実は、彼らが人間ではないことを証明している」

U:「氏名が公表されず遺影もない追悼式は、彼らが人間として扱われていない証拠と考えております」

U:「私は介護施設で、数年間現場で働いてきた。」

U:「彼らが家族や周囲に与える苦しみ、そして使われる膨大な費用、職員が置かれている過酷な労働環境を見てきた。」

U:「あなた方はなぜ、施設に足を運んだことすら無いのに、理想論をさも正論のように述べることができるのか。」

U:「あなた方は一度でも介護に携わったことがあるか?少しでも現場を知れば、介護は綺麗事だけでは無いことがわかるはずだ。」 

(正確な発言かどうか怪しいがネットの表現を引用)

 

犯人(=死刑囚)の言いたいことは「何となく」理解はできます。

実は俺、この主張と同じ主張を以前、体験しこともあります。

 

さらに時間を20年程戻します。

ダイビングで沖縄県慶良間諸島に向かうため、泊港というところでフェリーの乗船を並んで待っていたときのことです。

見るからに知的障害者が、並んでいる列に割り込もうとします。

並んでいた地元の若者が、「ちっ」とか言ってその知的障害者の元に向かおうとした、まさにその時のこと、俺のすぐ後ろに並んでいた老紳士が、慌てることもなく一言こう言ったのです。

 

「皆さん落ち着いてください。あの者は罪を犯しても罪にならない者です。しかしその者を傷つけるとあなた方が罪に問われます。そんな人間以下の者のためにあなた方が傷つくことはありません。どうか犬猫が列に紛れ込んだものとして容赦してさしあげればいいのではないでしょうか。」

 

そこにいた全員がこれに「納得」したのです。

 

人権派が聞いたら「人を犬猫みたいに扱うな」とお叱りがあるかもしれませんが、現場では「それが一番納得できる話」ということです。

 

 

話を「相模原市障害者施設殺傷事件」と「山口市知的障害者暴走トロッコ事件(?)」に戻しましょう。

 

犯人の主張に「理解はできる」とは言ったのですが、俺は「だからといって殺していい」とは考えていません。

もし俺が植松死刑囚と同じ考えなら、タックルではなく「膝蹴り」か「ウエスタン・ラリアート」だったのでしょう。

しかも、危険が迫ってたわけですし、証人も確保できているので、割と敏腕でない弁護士でも正当防衛を勝ち得られる状況です。

 

一瞬の判断だったのですが、タックルという手段に出たのは、すごくデリケートな部分をすっ飛ばして「簡潔明瞭に一言」で言うならば・・・

 

 

『動物はいたわるべし!』

 

 

そういう結論にたどり着いた俺は、完全な「動物園脳」です。

コメント
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