死の前年に手帳に書き留められた断片の一つに、ビランがなぜ「日記」をこの十年間つけ続けてきたのか、その理由を見出すことができる。
もしこの日記が公開されるとしたら、哲学者たちのために書いたわけではないから、彼らには軽すぎると見え、面白おかしい話を期待している人たちには、たいした出来事も出てこなくて退屈極まりないと見えることを恐れることだろう。
しかし、私は主にこれを自分のために書いているのであって、それは自分に精神的な仕事の類を与えるためであり、今私が打ち込める唯一の仕事がこれなのである。そして、この日記は、三、四人の友人たちのため、言い換えれば、私の魂の底にあること、私の人生でもっとも落ち着かなかったこの最近十年間に自分の内外で起こったすべてのことを打ち明ける必要がある数人の人たちのためでもある。何かより真剣なことがらを企てる前に、この十年から離れ、休息する必要が今の私にはある。
このような目的を持った日記を書き続けるという習慣を維持すること自体がビランにとって一つの持続する倫理的姿勢だったのである。そして、いろいろあったこの十年にここで区切りをつけ、一息入れ、「何かより真剣な企て」へと体勢を調えようとしているのがこの断片からわかる。しかし、その「企て」のためにビランに残されていた時間はその後一年もなかったのである。