内的自己対話-川の畔のささめごと

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丸山眞男「竹内日記を読む」 ― 自己凝視の方法としての日記

2014-02-06 00:00:00 | 読游摘録

 鶴見俊輔の『竹内好 ある方法の伝記』でも、竹内好の日記は度々引用あるいは参照されているが、それは、竹内好の思想家としての形成過程を知るための第一級資料であるばかりでなく、戦前・戦中・戦後を生き抜いた一つの類稀な人格による同時代の記録としてきわめて貴重であもあるからだが、竹内を直接知る友人知己たちにとっては、その知られざる面を発見して驚かされる記述も少なくないということも竹内の日記を特別興味深い読みものにしているようである。
 丸山眞男の「竹内日記を読む」は、竹内のすべての日記が収められた『竹内好全集』(筑摩書房)第十五・十六巻が刊行された際に、同全集の編集者の質問に答える談話という形で、雑誌『ちくま』一九八二年九月号に「丸山真男氏に聞く 聞き手・編集部」という表題で掲載されたのが初出だということが、『丸山眞男集』第十二巻の「解題」からわかる。おそらく談話記録に丸山自身が手を入れた上で発表されたものであろう。同巻で十五頁に渡るかなり長い談話記録である。話し言葉の調子が残っていることもあり、丸山の竹内への敬愛の深さがよく伝わってくる。例えば、竹内の日記を改めて読みながら、「ああもうこの人と面と向かって話せないんだなという寂寥の思いが胸をつきあげて来て、思わず涙ぐんでしまった」とある。
 竹内の日記そのものは読まずに丸山の談話だけから竹内の考えを忖度することには無理があるが、丸山が竹内のよき理解者であったことはこの談話からもわかる。例えば、竹内の一九三七年から一九三九年にかけての二年間の北京留学中の日記からわかるその無為放蕩とも言えるような生活振りについて、特に詳細を極めた記述が見られるM子との恋愛とその挫折に触れながら、丸山は次のように当時の竹内の生き方を捉え、そこに戦後経験よりも「もっと奥底の精神的回心」を見ている。

そうしてすべてが自分の内面の奥底をのぞきこむ機縁になっている。意地張り・見栄坊・負け惜しみ・俗物性等々……。ここにはあの泰然自若とした、前にいる人を何かすくませるような好さんの裏側に潜んでいる小心翼々としたもう一つの魂が露呈していて、それを好さんがたじろがずに見つめています。(中略)
 ここで竹内好はデカダンスとニヒリズムをくぐり、自分のすべてを坩堝にたたきこんで生れ変るんじゃないですか。北京生活の混沌のなかに身を置いて、ちょうど阿Q的な中国が鉄火の洗礼を受けて変貌してゆくのとパラレルに、竹内好も自己凝視を通じて昨日までの自分と変わってゆく。そこから引返す途はもうない、という極限のところに帰国直前の好さんは立っていたように見えるんです。

「竹内日記を読む」『丸山眞男集』第十二巻、三一-三二頁。

 竹内好の日記は、このような自己凝視の方法として、青年期から晩年まで意識的に書かれたのであろう。そして、単に記録を残すという意味で書かれただけでなく、竹内自身、自分の何かを確かめるように自分の過去の日記を読み返していることも、編集者の発言からわかる。同じ編集者の言として、竹内の北京時代の「酒色に溺れる日々」について、「実はあまり赤裸々に書いてあるので、出版社としてもこのまま出していいものかという問題があったんですが……。」とあるから、自分のことを徹底して記録する姿勢が貫かれていたのだろう。ナルシシズムとは無縁の、自己への冷め切った眼差しをそれは前提とするが、しかし諦観的ニヒリズムに留まるのではなく、冷徹なまでの自己凝視から自己を変革していこうとする凄まじい覚悟がそのような姿勢を保たせ、竹内の「思想的肉体」を鍛え上げていったのであろう。