内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

丸山眞男の竹内好評 ― 世界市民的感覚

2014-02-05 02:20:00 | 読游摘録

 昨日までの鶴見俊輔『竹内好 ある方法の伝記』の記事を書いているとき、同書の「あとがき」に丸山眞男の談話「好さんとのつきあい」(『丸山眞男集』第十巻)が引用されていて、それがとても印象に残ったので、手元にある『丸山眞男集』の中から他にも竹内好について語っている文章がないか探してみたところ、二つ見つかった。私が持っているのは全十六巻中の七巻に過ぎないから、きっと他の巻にもあることだろうし、手元の『丸山眞男集』を探したといっても、タイトルから探しただけなので、竹内好に言及している文章はその七巻の中にもまだあるかもしれない。
 見つかった二つの文章のうち、年代的に古い方は、竹内好評論集第一巻(筑摩書房)の月報三(一九六六年六月)初出の「好さんについての談話」。このタイトルには「好」の脇に「ハオ」とルビが振ってある(記事のはじめに言及した「好さんとのつきあい」も同様である)から、丸山眞男のように親しい友人は竹内好のことをそう呼んでいたのだろう。『丸山眞男集』第九巻に収録され、わずか三頁ほどの短い文章だが、竹内好の思想的資質をよく浮かび上がらせ、しかも友情が滲み出ていて、敬愛する友人についてこういう文章が書ける丸山のことも書かれた竹内のことも心より羨ましく思わずにいられない。
 丸山にとって、竹内は、「思想的資質・発想が全くちがっているけれども、ちがった方向から思いがけずばったり会うというか、思いがけず隣にいる」、そういう人で、二人が友人になった一つのきっかけも、竹内が丸山の書いたものを批判したことだったと言う(『丸山眞男集』第九巻、三三七頁)。
 丸山は、自分の感じとして、「好さんは、根本的に、インタナショナルだということなんです。むしろコスモポリタンなところさえある」と言っている。さらに、「インタナショナルを超えてむしろ世界市民的なものを根底に持っているような気がします。「通説」とは逆だけれど……」と付け加えている。そして、なぜ竹内好がそのような感覚を身につけているかを以下のように説明する。

 これは、一つには中国のことをほんとうに勉強したからだと思います。彼は、中国研究を日本人がやることの意味を最もよく考えている人ですが、その場合、「一人の日本人が」という点が大事だと思う。自分と日本とを一体化して、日本の主体性に立って中国を研究するという華夷思想の裏返しのような伝統は江戸時代からありますが、彼はそういう過去の研究態度の批判を含めた中国研究を行なおうしているわけで、それは非常に困難な道であり、孤独な道で、そうたくさんの追随者があるはずがない。中国というものは、長い間それ自身ひとつの宇宙みたいなものだったから、世界市民的発想も生まれたが、そういう条件は今後は急速になくなって、中国もひとつの地域となって行くでしょう。その場合にただ中国には天下思想があるなどという伝統へのもたれかかりではすまなくなる。ですから、たんにヨーロッパ世界主義を中国あるいはアジア世界主義にかえただけでは、ちっとも問題の解決にならない。やっぱり一種の特殊の普遍化でしかない。ところが好さんの場合は、民族的内発性ということをあれだけいう人が、世界中どこでも同じ人間が住んでいるという感覚、隣の人は日本人である前に人類の一員なんだという感覚を体質的に身につけている。私はその点を高く買うんです(同書三三八頁)。

 このような世界市民的感覚を身につけた人がどれくらいいるのだろう。本来の意味のギリシア末期に出た「世界市民」の精神を持った人たちは、このグローバリゼーションの世界の中にあっても、やはり少数に限られるのではないだろうか。「お前らと一緒にされてたまるか!」と心の中で叫ばない日はない器の小さい私など、とてもじゃないがこのような感覚を日常の現実感覚として持つことは一生できないだろう。情けない話である。そんな話は脇に除けて、もう一箇所引用する。

 畏友という言葉があるけれど、好さんはやっぱりこわい。彼にも言ったことがあるけれど、どすのきいたヤクザのように、すっと側にすりよって来たかと思うと、グサッと横腹を刺される、というようなところがあります(同書三三九頁)。

 ここは読んでいて、クスっと笑ってしまったが、いや、これはほんとうにそうなのだろうと思い直した。丸山眞男からも、鶴見俊輔からも、吉本隆明からも畏敬されていた竹内好という異数の思想家の凄みをまだ私などはよくわかっていないのだろう。