内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

揺曳する哲学的精神の記録 ― メーヌ・ド・ビランの日記を読む(三)

2014-02-21 00:00:00 | 哲学

 ビランの哲学的探究のいわば通奏低音をなしているのは、自己の存在を前にしての、より正確に言えば、疑うことのできない内的実感として与えられている自己の存在の事実への驚嘆の念である。死の九ヶ月前の日記にビランはこう記している。

子供の頃からもう、私は自分が存在していると感じることに驚いていたこと、どうして自分は生きることができ、自分であることができるのかを知るために、自分をその内面において見つめるように本能によってであるかのように導かれていたことををよく覚えている(一八二三年七月二七日)。

 ビランの哲学は、子供の頃に痛切に感じられた自己存在における〈在ること〉そのことへの原初的な驚嘆に始まり、生涯を通じて様々な出来事に遭遇しながらその驚嘆を何度も新鮮に感じ直すことでその自己存在についての問いを深化させ、最終的には、純化された静謐な精神的生を希求しつつ、ついにその驚嘆のうちに終った。まさにそうであるからこそ、ビランの日記は、それを読むものをその驚嘆へと絶えず連れ戻す。