内的自己対話-川の畔のささめごと

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揺曳する哲学的精神の記録 ― メーヌ・ド・ビランの日記を読む(十)

2014-02-28 00:47:00 | 哲学

 ビランの「日記」は、ある一つの精神の自伝として読むことができる。
 このテーゼを今回のメーヌ・ド・ビランの日記を読む一連の記事の締め括りとして、掲げておきたい。今日の記事では、このテーゼがどのような意味で主張されているのかを明確にするために、私が「自伝」という言葉に与えたいと考えている定義を説明する。
 ビランの「日記」が自分の過去の事績についての回顧談ではないことは、すでに昨日までの記事で十分に明らかにされているであろう。過去が想起される場合も、それはただ想い出に浸るためではなく、過去と現在を比較するためである。他方、ビランの「日記」は、現在の自己がそこでの問題であるときも、その自己を対象化し、その精神状態を冷静に観察し記録するということに尽きるものでもない。自己を対象とする記述行為それ自体が現在の自己を形成しつつあるからだ。一般に、回顧談でも観察記録でも、対象化された自己と語り手としての自己との間に何らかの距離が想定されている。ところが、ビランの「日記」では、その距離の絶望的な取り難さこそが問題なのだ。
 「自伝」という日本語は、字面からして「自らを伝える」というのが基本義になるが、その基本義からは、まず〈自己〉があって、その既存の〈自己〉を事後的に〈伝える〉という意味に取られがちである。この場合、伝える以前にすでに伝えるべき自己が存在していることが、この意味での自伝の成立にとって不可欠な条件となる。それに〈伝える〉という行為は他者の存在を前提としている。ただ、その他者は現に実在している他者であるとは限らない。将来の世代に向かって自分の記録を残しておこうという意図からも自伝は書かれうるだろう。しかし、いずれにせよ、ビランの「日記」を精神の自伝として読むと私が言うとき、それは、これらの意味においてではないことは、前段落に述べたビランの「日記」の特徴から明らかであろう。
 ビランの「日記」について「自伝」という言葉を私が使うとき、それはフランス語の « autobiographie » の語源を念頭においてのことなのである。この言葉そのものの初出はフランス語においては一八三六年とロベールのフランス語歴史辞典 Dictionnaire historique de la langue française (Le Robert, 2011) にはあるが、英語・ドイツ語ではすでに前世紀に同意語の初出が確認できる。だが、この言葉の誕生とともに広い意味でのある一つの文学的ジャンルを指し示すことが初めて可能になったとしても、この言葉の誕生とそれによって指示される精神活動の誕生とが一致するわけではない。« Autobiographie » と形容しうる表現行為は、この言葉の誕生の遥か以前から行われてきたと考える立場を私は取る。こう言うとき、私は、Georges Gusdorf の浩瀚かつ洞察に富んだ記念碑的な思想史研究である二部作 Les écritures du moiAuto-bio-graphie(Odile Jacob, 1991. 両者は相俟って Lignes de vie と題された総合研究をなす)に拠っている。
 このフランス語は、auto-bio-graphieという三要素に分解できる。いずれもギリシア語起源であり、それぞれ « autos » « bios » « graphein » を語源とする。第一要素は「自分」「自分自身」「自分自身の」、第二要素は「生命(の様態)」「生き方」、第三要素は「書く」(という行為)をそれぞれ意味する(ちなみに、 « autonomie » は「自律」と訳されるが、やはりギリシア語の語源に遡って考えれば、 « autos » と « nomos » とに分解でき、後者は「法」「法律」「規則」という意味だから、「自律」とは「自らに自らが守るべき規則を与えることができること」と解することができる)。この意味での「自伝」とは、したがって、「自らの-生き方を-書き記す」ということである。だから、このフランス語(英語でもドイツ語でも同様)の和訳としては「自叙伝」の方がより適切なわけだが、前段落に示した理由でやはり「伝」は原意にそぐわないから、より原意に忠実な訳としては「自叙記」とでもすべきだろう。しかし、このような一般に馴染みの薄い言葉を使うことにも特に積極的な意味はなさそうである。そこで、上記のような語源的意味を踏まえていることを予め説明した上で、やはり「自伝」という一番簡素な言葉を使うことにしたのである。
 上記の定義に従えば、「自伝」は、三つの要素からなる。〈自己〉と〈生命〉と〈書記〉である。第一要素は、「自己自身によって」「自己を対象として」「自己自身に於いて」という三重の関係性を内包している。第二要素は、語源に忠実に考えると、生命体としての生命あるいは生物学的・生理学的対象としての生命ではなく、生き方・生きる様態として歴史の中にある社会において具体的に展開されていく持続として自覚された生命のことである。第三要素は、肉声による口頭表現に対する筆記用具を使った書記表現、つまり「声に出して語る」ことではなくて、「文字による記録が残るように書き記す」という行為を意味する。
 これら三要素は、それぞれ〈関係〉〈持続〉〈技術〉に関わる問題を胚胎している。第一の問題は、自己の自己に対する関係をどう捉えるかという認識論的問題、第二の問題は、生命を時間の中にある仕方で展開される持続として捉えることから発生する存在論的問題、第三の問題は、可視的文字記号によっていかに不可視の関係と持続を表現するかという方法論的問題である。
 ビランの「日記」を 上記のように定義された「自伝」の思想史という広やかで奥深いパースペクティヴの中で読み直そうとするとき、上に言及したジョルジュ・ギュスドルフの大著(本文だけで二部作合計九百頁)は最良のガイドの一つとなってくれる。実際、Les écritures du moi の第一四章 « Aveux complets » の中には、ビランの「日記」の性格についてのかなりまとまった記述が見られる。そこでは、ヴァレリーとアミエルが引き合いに出され、前者との対比と後者との親和性及び差異とを際立たせることで、ビランの日記の固有性と「自伝」としての真正性を、適切な引用と確証されている歴史的な事実を論拠に見事に論証している。ヴァレリーは、ビランの「日記」を、自らの思想を実行に移せない非生産的で病的な自己の症例のようなものと見なし、まったくその価値を認めていない。しかし、ギュスドルフは、ビランの政治家としての活発で誠実な活動に関してヴァレリーがまったく無知で、ビランの実存的苦悩の深みをまったく見損なっていると厳しく批判している。アミエルは、その膨大な『日記』の中でビランの煩悶に対して親和性を感じ理解を示しているが、やはり批判的な言及も見られる。ところが、ギュスドルフによれば、その批判は、ビランによりもアミエル自身によりよく当てはまるのではないかと鋭く指摘するのである。
 明日と明後日の記事では、この創見に満ちたギュスドルフの二部作をもう少し詳しく紹介し、「自伝」の思想史という途方もなく広大で肥沃な研究領野に一瞥を与える。