昨日の記事で最後に引用した「花伝第七別紙口伝」の一節をもう一度引く。
また云はく、「十体を知らんよりは、年々去来の花を忘るべからず。」年々去来の花とは、たとへば、十体とは物まねの品々なり。年々去来とは、幼なかりし時の粧ひ、初心の時分の態、手盛りの振舞、年寄りての風体、この時分時分の、おのれと身にありし風体を、皆、当芸に一度に持つことなり。ある時は児・若族の能かと見え、ある時は年盛りの為手かと覚え、または、いかほども臈たけて劫入りたるやうに見えて、同じ主とも見えぬやうに能をすべし。これすなわち、幼少の時より老後までの芸を一度に持つ理なり。さるほどに、「年々去り来る花」とは云へり。
この一節で注目すべきだと私に思われるのは、もはや「真の花」と「時分の花」との区別を確立することが問題なのではなくて、稽古と実践において、そして舞台において、端的に能の〈花〉がそれとして現成する場所を明確に規定することが問題になっていることである。そこにあるのはただ一つの〈花〉であって、それを真正だとか儚いものだとか区別して限定することが問題ではもはやないのだ。なぜなら、そこにはもう「真の花」と「時分の花」との対立はないからである。この対立の消滅は、今日『風姿花伝』として知られている書の成立過程における世阿弥の能楽理論の変化あるいは深化によるという見方もできるかも知れない。『風姿花伝』最初の三篇と「花伝第七別紙口伝」との間には執筆時期に数年の隔たりがあることもこの見方を支持する根拠の一つになりうるかも知れない。
しかし、それでもなお、『風姿花伝』全体を通じて理論的に一貫した仕方で〈花〉を理解することはできるだろうと私は考える。それは、「真の花」と「時分の花」とを前提とした上で、「永遠の現在における花」という第三の〈花〉を導入することによって可能になるというのが私の考えである。こう言えば、たちどころに、そのような解釈は成り立ち得ない、なぜなら「永遠の現在における花」などという概念の導入を許すような記述は『風姿花伝』の本文には見出し難いからである、という反論が返ってくるであろうことを予想していないわけではない。その予想される反論に対する応答を試みるにあたって、その根拠となる一節は、同じく「花伝第七別紙口伝」に見られる以下の一節である。
しかれば、芸能の位上がれば、過ぎし風体をし捨てし捨て忘るること、ひたすら花の種を失ふなるべし。その時々にありし花のままにて、種なければ、手折れる枝の花のごとし。種あれば、年々時々の頃になどか逢はざらん。ただ、かへすがへす初心を忘るべからず。されば、常の批判にも、若き為手をば、「早く上がりたる」「劫入りたる」など褒め、年寄りたるをば、「若やぎたる」など批判するなり。これ、珍しき理ならずや。その上に、年々去来の品々を一身当芸に持ちたらんは、いかほどの花ぞや。
明日の記事は、この一節をもう一度読み直しながら、それについての私の解釈を述べることから始める。