「時分の花」は、溌剌とした若さ、持って生まれた才能、自発的な創意などが役者にあたえる魅力による。その花は、様々に異なった視覚的価値、より一般的に言えば、知覚されうる価値とともに現れる。しかし、それらの価値は一時的なものであり、儚いものである。幼少期や少年期の優美さ、初々しく魅惑的な声、青年期の輝くばかりの才気、眩いばかりの肉体美など、これらすべては遅かれ早かれ失われていく。たとえ芸は退歩しなくても、それらが失われていくことは避けがたい。「年来稽古条々」四十四五歳の項にあるように、
芸は下らねども、力なくやうやう年闌け行けば、身の花も、他目の花も、失するなり。
それでは、「真の花」とは、どのようなものなかのか。「時分の花」に属するすべての知覚可能な魅力、花開く時があれば、その後には枯れ消えていくほかない魅力がすべて消え去ったにもかかわらず保たれうるような何かなのであろうか。もしそうであるとすれば、「真の花」は、私たちがそこで生きているところの知覚可能な形姿の世界、「年々去り来る花」の世界を超えたところに探さなくてはならないものなのであろうか。つまり、現象世界を超越するもの、絶えざる生成消滅の世界を超えてそれ自体に常に同一的である形而上学的な何ものかなのであろうか。しかし、「花伝第七別紙口伝」の次の一節を読めばわかるように、そのような仕方で現象界の「時分の花」を否定し「真の花」を観念論的に荘厳化することはできない。
そもそも花と云ふに、万木千草において、四季折節に咲くものなれば、その時を得て珍しきゆゑに、翫ぶなり。申楽も人の心に珍しきと知る所、すなわち面白き心なり。花と面白きと、珍しきと、これ三つは同じ心なり。いずれの花か散らで残るべき。散るゆゑによりて、咲く頃あれば珍しきなり。能も住する所なきを、まづ花と知るべし。住せずして余の風体に移れば、珍しきなり。
「花」であるからには、時を超えた普遍的な何かではありえない。年々、四季折節に咲く花のように、そのときそのところで咲く「花」において「真の花」は現勢的に現れるものでなくてはならない。それゆえにこそ、同じく「花伝第七別紙口伝」において、あらゆる芸を身につけたとして、その上での心得が次のように述べられているわけである。
また云はく、「十体を知らんよりは、年々去来の花を忘るべからず。」年々去来の花とは、たとへば、十体とは物まねの品々なり。年々去来とは、幼なかりし時の粧ひ、初心の時分の態、手盛りの振舞、年寄りての風体、この時分時分の、おのれと身にありし風体を、皆、当芸に一度に持つことなり。ある時は児・若族の能かと見え、ある時は年盛りの為手かと覚え、または、いかほども臈たけて劫入りたるやうに見えて、同じ主とも見えぬやうに能をすべし。これすなわち、幼少の時より老後までの芸を一度に持つ理なり。さるほどに、「年々去り来る花」とは云へり。
実年齢にはよらずに、あらゆる「時分の花」を、そのときそのところに応じて、それぞれそれとして見事に咲かせることができるとき、そのような芸位に達した役者の演技において、「真の花」は「年々去来の花」として現象界に顕現する。
しかし、このように至高の芸位を規定した後で、世阿弥は、そのような役者は昔も今も見たことも聞いたこともない、辛うじて亡父観阿弥がそのような芸位に達した唯一無二の役者であろうかと言う。
『風姿花伝』における世阿弥の能楽論的探究は、単に能の役者としての実践的経験や見聞から一般的帰結を引き出すことに留まるものではなく、それらについての省察を通じて、生命の本質的価値の探究の領域にまで達していたと言うことができるだろう。