内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

鶴見俊輔『竹内好 ある方法の伝記』を読みながら(その四)― 「近代の超克」

2014-02-02 02:10:00 | 読游摘録

 鶴見は、『竹内好 ある方法の伝記』の全体の半分近い百頁を割いて、戦中から戦争直後にかけての竹内の思索と行動を、引用を重ねながら丹念に追っている。そこには、戦後の竹内の思想的立場と方法的自覚を理解するために重要な鍵がいくつか見いだされる。特に、魯迅論、戦争期の太宰治作品への傾倒(後年、竹内は、「先輩作家は別として、同世代でこれほど親近感をもった作家は、前にも後にも私には太宰治ひとりしかいない」とまで言っている)、回教圏研究所での交流、従軍と敗戦などは、それぞれに取り上げられるべき重要なテーマだろう。しかし、このブログの記事でそこまでするつもりはない。鶴見の本を読んでいて私が特に印象づけられた箇所を摘録しておくにとどめる。
 同じ理由で、鶴見の本では一言言及されているに過ぎない竹内の論文「近代の超克」にも、今回の一連の記事の中では触れない。しかし、この「近代の超克」問題についてはよく準備をした上でまた立ち戻るつもりでいる。実は、すでに何度か、一九四二年に『文學界』に掲載された座談会「近代の超克」の記録とその座談会の出席者たちによってその座談会のために執筆された論文をまとめた『近代の超克』(冨山房百科文庫、一九七九年。同書には、松本健一による解題が巻頭に置かれ、巻末には竹内の論文「近代の超克」が併録されている)を読もうとしたのだが、とても最後まで読み通す気になれず、その都度途中で投げ出してしまったのである。その後、広松渉の『〈近代の超克〉論 昭和思想史への一視角』(講談社学術文庫、一九八九年)を読み、これはイナルコの講義「同時代思想」でも取り上げたことがあり、それによって「近代の超克」論へアプローチする一つの手がかりも与えられたから、いずれは当の『近代の超克』と昨日も言及した座談会「世界史的立場と日本」とを併せ読み、それらに対する自分の立場をはっきりさせなくてはと思ってはいる。そのときには、竹内の論文「近代の超克」が一つの導きの糸となってくれることだろう。同論文の中で、竹内の方法的立場がよく表されている箇所を引く。

 思想からイデオロギイを剥離すること、あるいはイデオロギイから思想を抽出することは、じつに困難であり、ほとんど不可能に近いかもしれない。しかし、思想の次元の体制からの相対的独立を認め、事実としての思想を困難をおかして腑分けするのでないと、埋もれている思想からエネルギイを引き出すことはできない。つまり伝統形成はできないことになる。ここで事実としての思想といったのは、ある思想が何を課題として自分に課し、それを具体的な状況のなかでどう解いたか、また解かなかったを見ることをいう。「近代の超克」(『近代の超克』283-284頁)

 この箇所は、直接には戦中の「近代の超克」論について言われていることだが、思想の方法として普遍的な課題の一つを規定しているということができるだろう。