今日の記事で六回目となる鶴見俊輔『竹内好 ある方法の伝記』の読書記録も今日でひとまず締め括りとする。その締め括りとして、鶴見が竹内の論文「方法としてのアジア」に言及している箇所を取り上げる。この論文には、武田清子編『思想史の対象と方法』(創文社、1961年)と竹内好評論集第三巻『日本とアジア』(筑摩書房、1966年)との二つの版があり、後者の巻末に付された著者自身の解題の中に、前者の版について、「冗長の部分を削った。事実の誤りも数カ所改めた」との注記がある。『竹内好全集』(筑摩書房)は未見。今手元には後者の再刊であるちくま学芸文庫版(1993年)があるだけなので、この論文の鶴見によって引用されていない箇所に言及する際にはこの学芸文庫版に拠る。
この論文の元になっているのは、一九六〇年一月二十五日の国際基督教大学アジア文化研究委員会での講演である。まず、鶴見による同論文の基本的立場の説明を引く。
竹内好は、地理学的区分としてひとつのアジアという実体が存在するとは考えていない。むしろ、梅棹忠夫が『文明の生態史観』に書いたように、環境としても、くらしかたの流儀から見ても、アジアの諸地域はバラバラだと考えている。しかし、これを西欧からの侵略にさらされたものとして見る時、そこにひとつのアジアがあり、おしかかってくる西欧の力(武力、技術力、金力、文化力)に抵抗してゆくことをとおして、方法としてのアジアを見ることができるという(179頁)。
このように導入的な説明をしてから、鶴見は竹内の同論文からかなり長い引用をする。それだけその箇所を重要とみなしているわけである。この箇所は同論文の末尾に見出される。しかし、鶴見の引用は、同論文の最後から二番目の段落の途中から始まっており、文脈が少しわかりにくくなっているところがあるので、鶴見が引き写している部分を引用する前に、『日本とアジア』ちくま学芸文庫版に依拠しつつ、文脈について一言補足説明を予め加えておく。
その段落で、竹内は、「自由」や「平等」などの文化価値が西欧からアジアに浸透してくるとき、それが武力を伴い、植民地侵略によって支えられていたために、それらの価値自体が弱くなっていることを問題として指摘した後に、次のように言う。
たとえば平等と言っても、ヨーロッパの中では平等かもしれないが、アジアとかアフリカの植民地搾取を認めた上での平等であるならば、全人類的に貫徹しない。では、それをどう貫徹させるかという時に、ヨーロッパの力ではいかんともし難い限界がある、ということを感じているのがアジアだと思う。東洋の詩人はそれを直観的に考えている。(『日本とアジア』469頁)
鶴見の引用は、この直後の文から論文の最後の文にまで及んでいる。
タゴールにしろ魯迅にしろ。それを全人類的に貫徹するものこそ自分たちであると考えている。西洋が東洋に侵略する、それに対する抵抗がおこる、という関係で、世界が均質化すると考えるのが、いま流行のトインビーなんかの考えですが、これにもやっぱり西洋的な限界がある。現代のアジア人が考えていることはそうでなくて、西欧的な優れた文化価値を、より大規模に実現するために、西洋をもう一度東洋によって包み直す、逆に西洋自身をこちらから変革する、この文化的な巻返し、あるいは価値の上の巻返しによって普遍性をつくり出す。東洋の力が西洋の生み出した普遍的な価値をより高めるために西洋を変革する。これが東対西の今の問題点になっている。これは政治上の問題であると同時に文化上の問題である。日本人もそういう構想をもたなければならない。
その巻き返す時に、自分の中に独自なものがなければならない。それは何かというと、おそらくそういうものが実体としてあるとは思わない。しかし方法としては、つまり主体形成の過程としては、ありうるのではないかと思ったので、「方法としてのアジア」という題をつけたわけですが、それを明確に規定することは私にもできないのです。(竹内前掲書469-470頁、鶴見前掲書179-180頁)
この「方法としてのアジア」を、「竹内好の思想全体を支えるキーワードのひとつである」(180頁)と鶴見は見る。そのことに間違いはないであろう。
この論文が書かれてから半世紀以上が経過している現在、当時の竹内が立っていた立脚点から私たちは思想的にどれほど前進したと言えるであろうか。むしろ後退していると言わざるを得ないのではないだろうか。アジア諸国が日本の高度経済成長を皮切りに一つの経済ブロックとして六十年代以降今日に至るまで飛躍的に発展し、相対的に西欧からの圧迫を受けなくなったどころか、経済面では欧米諸国を逆に警戒させるまでになり、アジア内では競合関係がますますその激しさを増している今日、竹内の言う「方法としてのアジア」はその措定が困難、あるいはほとんど不可能になっていると言わざるを得ないのではないだろうか。
この途方もなく大きな問題を考えるための手がかりは、どこに見出だせるであろうか。現在の困難な現実を前に、絶望するしかないのであろうか。あるいは、盲目的で排他的なナショナリズムに走るほかないのであろうか。それがいやなら、恰好だけはいいが現実には無力なコスモポリタニズム、あるいは、大仰で空疎な世界共和国の幻想にでもしがみつくか。
しかし、自らの「偏見」を自覚しつつ、そこから始めるための手がかりは、先人たちによって様々な形で与えられている、と私は考える。こう言うとき、私が念頭に置いているのは、差し当たり、次の三つの哲学的構想である。田辺元の「種の論理」を可塑的共同体構築の論理として読み直すこと、三木清の「構想力の論理」を受け継ぎ、想像力の媒介によるパトスとロゴスとの統一を技術によって具体的な生活形式として実現する手段を提案すること、井筒俊彦による東洋思想の「共時的構造化」論を国際的な共同研究として実践的・戦略的展開していくこと。