それでは、「花」はどこにどのように咲くのか。
ただ、煩はしくは心得まじきなり。まづ、七歳よりこのかた、年来の稽古の条々、物まねの品々を、よくよく心中に当てて分ち覚えて、能を尽し、工夫を究めてのち、この花の失せぬ所をば知るべし。この、物数を究むる心、すなわち花の種なるべし。花を知らんと思はば、まづ種を知るべし。花は心、種は態なるべし。
同箇所について参照した現代語訳の中で一番説明的な訳になっている竹本幹夫訳(角川ソフィア文庫版)を引く。
ただし、花を知るということを、面倒なことと思い込んではならない。まずは、七歳以後の「年来稽古条々」で説いた教えの数々、「物学条々」の各条を、何度も心の中で納得のいくまで検討し、あらゆる能を演じ、芸の工夫を極めた後に、芸の魅力の失せぬ境地を理解することができよう。このようにあらゆる演目の数々を稽古し尽くすことが、花の種となるのである。すなわち、花を知ろうと思うならば、まずその種のなんたるかを認識すべきである。花は心の工夫によって咲き、種とはその工夫を可能にする稽古の数々なのである。
稽古は具体的な所作の修練という意味で目に見えるものだが、それを「種」として咲く花はそれと同じ意味においては目に見えるものではない。「花は心」と世阿弥が言うとき、しかし、それは「花」が「心」と呼ばれる内面世界にのみ咲くものだと言おうとしているのでもないであろう。そのように「心」を人間精神の内面に閉じ込めてしまうのは、近代哲学以降の話で、ましてやそれを明治以降に導入したにすぎない日本における中世が問題であるここでは、まったくの的外れの誹りを免れがたいであろう。
「花」は「心より心に伝ふる花」(奥義云)であり、言語では説明しきれるものではないと世阿弥は言う。したがって、それは目に見える「型」のようなものではないことは明らかだ。とはいえ、師の心中を察して身に付ける「こつ」のようなものでももちろんない。それは稽古を尽くすことを通じてのみそれとして伝承されうる目に見えないものであるが、それがあってはじめて舞台上の芸がそれとして成立するような何かである。それは体得したからといって人に見せるようなものでもなく、誤って見せようとすれば、それはもやは「花」でさえなくなってしまう。
秘すれば花、秘せねば花なるべからず。