アンリ・グイエは、そのビラン研究『メーヌ・ド・ビランの回心』(Vrin, 1947)の中で、「ビランはたった一冊の本の人であり、そしてその本をけっして書かなかった」と言う(六頁)。この一言は、確かに、ビランのテキストの特異性をある一面からよく捉えている。グイエによれば、ほとんどすべての草稿はある一つの作品へと関係づけられており、その作品は、何度かビランによって異なった名前を与えられるが、その目的と方法、さらにはその内容によって、常に「同一の作品」だった。そしてそれはついに完成されることはなかった。
ビランの膨大なテキスト群は、自己の存在に関する哲学的問いかけが片時もビランに思考の休息を与えなかったし、それに対する自分のその都度の思索がビランに精神的満足を与えることもなかったことを示している。ビランは書き続ける。何度でも同じ問題に立ち返り、書いては消し、別の表現を求めて呻吟することを生涯続けた。問題の困難を前に躊躇い、〈私〉の内なる声を捉えきれない言語の無力感に苛まれることもしばしばである。自分の考えについていよいよ最終的な形を与えようとするとき、内なるものを外へ表現しようとするとき、恐怖感に捕われ、思考が中断し、それが思想を形成する要素間の連鎖を損なってしまう。一八一九年六月の日記には次のようにその苦悩が吐露されている。ビランが五三歳になる年のことで、その前年には、長年の政治家としての功績を称えるレジオン・ドヌール三等勲章を受勲している。
私は自分から出てくるものに何の信頼もできない。けっしてそれに満足することがない。自分の考えを捉えようとしてその後を追いかけては、その考えをそれには値しないような別のものに置き換えてしまう…。これは本当に苦しいことで、文学的、哲学的あるいは政治的なほんの小さなテキストでもそれを書こうとすると、なんともいえない不安に襲われてしまう。
この生涯付き纏った苦悩ゆえに、ビランは、フランス学士院あるはベルリンの学士院によって表彰された懸賞応募論文さえ、出版援助金まで提供されたのに、もっと改善してからという理由で、結局出版せずに終わってしまう。
十三巻(二十冊)からなる『ビラン全集』と『日記』は、ビランの哲学的思索とそれに伴う苦悩の実録と証言であり、西田幾多郎の『自覚における直観と反省』「序」の言葉を借りれば、それはまさに「悪戦苦闘のドキュメント」だったと言うこともできるだろう。ビランの哲学者としての偉大さを語るとすれば、このような哲学的苦悩を最後まで生き抜いたことだと私は思う。