昨日の記事で話題にした『ユリイカ』2013年12月号に掲載された高畑勲へのインタヴュー「躍動するスケッチを享楽する」についての感想の補足。
高畑の映画製作のモティーフの一つに、スケッチの持っている特性をアニメーションに活かすことはできないかということがあった。これはすでに『となりの山田くん』で試みられていたことだが、『かぐや姫の物語』ではその技法がとことん追求されている。
この技法は、次の三つの基本特性を持っている。その第一は、省略である。例えば、寝殿造りの建物の細部まで描きこまず、そこに人物を動かすことで、生ける空間を現前させ、場面全体として生動させる。第二は、動性である。一本の輪郭線に整理されてしまう以前のスケッチの動的な線のことである。これは、かぐや姫が都の邸宅から幼少期を過ごした田舎へと疾走していくシーンに見事なまでに結実している。第三は、非完結性である。あるシーン自体が一つの絵として完結しておらず、そのことが観る側にそのシーンを超えた世界への想像力を喚起する。
これらのスケッチの特性を活かしたアニメーションの作製は、それがとくに長編の大規模な作品であるとき、技術的に極めて困難であるばかりでなく、多数の有能なスタッフによる膨大かつ緻密な作業を必要とする。高畑自身、『かぐや姫の物語』についてよくこんなすごい作品が出来たものだと思っており、「それを成り立たせてくれたスタッフたちみんな、とりわけ中心人物である田辺修、男鹿和雄ですよね。彼らがいたからこそ出来たんです。すごい才能の持ち主です」と言っている(78頁)。
描線の持っている躍動性をアニメーションに活かすという技術的な革新を多数のスッタフの緊密かつ高度な共同作業によって長編アニメーションとして実現したということだけでも、『かぐや姫の物語』は「商業アニメーション百年の歴史上に突然現れた、全く新しい作品」(細馬宏通「線と面」『ユリイカ』同号、175頁)になっていると言えるのだろう。