内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

夏休み日記㉕ 自己形成的な描線から生命の躍動へ

2014-08-28 12:11:11 | 随想

 昨日の記事で『かぐや姫の物語』の中でもとりわけ印象深いシーンの一つであるかぐや姫の疾走シーンを話題にした。このシーンは、映画の予告編で使われていたこともあり、映画公開以前からいろいろと話題にもなっていたようである。しかし、私はそのような予備知識一切になし映画を観て、このシーンから圧倒的な印象を受けた。それは極点にまで達した怒りと悲しみの疾走であり、そこには私たちがこれまで形成してきたかぐや姫の伝統的イメージを一挙に粉砕してしまうだけの強烈なエネルギーがこもっていた。
 私たちがアニメーションを観て感動するのは、そのストーリーや登場人物の生き方・在り方によってであることが多いかもしれない。しかし、あのシーンは、前後のストーリーを抜きにしても、それ自体で観るものを感動させる何かがあった。それは何なのだろうか。私は次のように考えた。
 私たちがそこに見たのは、生命の息吹から生まれ出た自己形成的な形である。その形は、ものを一定の領域・枠組みの中に閉じ込めてしまう輪郭線によって描かれうるものではなく、そのような反生命的傾向を持った線に収まりきらず、それを突き破ってさらに遠くまで、さらに多方向に進もうとする躍動的な描線によってのみ表現され得る。このような自己形成的な生命の描線は、生物にのみ現われるものではなく、ものを描く〈手〉を通じて、万象に伝播しうる。そのような生命の自己形成的な描線の躍動を目の当たりにするとき、私たちは言い知れぬ感動を覚える。