内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

夏休み日記㉖ 精神によって思惟される存在の生成軸としての線

2014-08-29 13:43:02 | 哲学

 一昨日と昨日の記事でアニメーションの描線のことを取り上げたとき、ある一連のフランスの哲学者たちのテキストと彼らが参照している一人の芸術家のテキストとを私は念頭に置いていた。それらの哲学者とは、ラヴェッソン、ベルクソン、メルロ=ポンティであり、芸術家とは、レオナルド・ダ・ヴィンチである。
 メルロ=ポンティは、『眼と精神』の第Ⅳ章で、描線を対象それ自体の実定的な属性や固有性として捉える考え方、例えば、林檎の輪郭あるいは耕作地や草原の限界線が世界の中にあたかも点線として現前するものとし、鉛筆や筆はそれをなぞるだけだとする、線についての「散文的な」考え方を示した上で、そのような線は、近代絵画のすべて、そしておそらくはあらゆる絵画によって異議を唱えられているものだとして、ダ・ヴィンチの絵画論に言及する。
 ところが、面白いことに、そこでの引用は、孫引きならぬ曾孫引きになっている。メルロ=ポンティが引用しているのは、ベルクソンの「ラヴェッソンの生涯と著作」の一節なのであるが、そのベルクソンのテキストに引用されているのは、ラヴェッソンがある教育学辞典のために執筆した項目「デッサン」で言及しているダ・ヴィンチの絵画論なのである。メルロ=ポンティは、絵画を生み出す線についての自分の考察をこれらの名前によって代表される思想の系譜の中に位置づけた上で、そこから独自の絵画論を展開し、さらにはその絵画論から存在論的含意を引き出そうとしている。
 これらのテキスト、つまり、ダ・ヴィンチの絵画論、ラヴェッソンの素描論、ベルクソンのラヴェッソン論、メルロ=ポンティの『眼と精神』は、いずれも極めて興味深いテキストであり、実際それぞれ大いに研究されてもいるわけだが、他方では、ラヴェッソンのダ・ヴィンチ解釈、ベルクソンのラヴェッソン解釈、メルロ=ポンティのラヴェッソンとベルクソンに対する批判等、それぞれに問題を孕んでもいて、それら全部について考察することは、「絵画にとって線とは何か」という問題についての美学的考察を深め、さらには、「線とは何か」という端的な問いを存在論的問いとして或は形而上学的問いとして追究する途の一つを開いてくれる。
 今日のところは、メルロ=ポンティが引用しているベルクソンのテキストを、省略されている箇所を復元し、引用箇所の前後も含めて原文で引用し、その後に野田又夫訳(ラヴェッソン『習慣論』岩波文庫に「附録」として収録されている)を示して、締め括ることにする。

Il y a, dans le Traité de peinture de Léonard de Vinci, une page que M. Ravaisson aimait à citer. C’est celle où il est dit qu l’être vivant se caractérise par la ligne onduleuse ou serpentine, que chaque être à sa manière propre de serpenter, et que l’objet de l’art est de rendre ce serpentement indidivuel. « La secret de l’art de dessiner est de découvrir dans chaque objet la manière particulière dont se dirige à travers toute son étendue, telle qu’une vague centrale qui se déploie en vagues superficielles, une certaine ligne flexueuse qui est comme son axe générateur. » Cette ligne peut d’ailleurs n’est aucune des lignes visibles de la figure. Elle n’est pas plus ici que là, mais elle donne la clef de tout. Elle est moins perçue par l’œil que pensée par l’esprit (« La vie et l’œuvre de Ravaisson », Le pensée et le mouvent, PUF, 2009, p. 264-265.)

レオナルド・ダ・ヴィンチの「絵画論」の中には、ラヴェッソン氏が好んで引用した一節がある。そこにはかくいはれている。生物は波形即ち蛇形の線によって特徴づけられ、すべての存在者はその固有のうねり方を有ち、芸術の目的はこのうねりを個性的ならしめることである、と。「素描の芸術の秘訣は、すべての対象の中に、それの全表面に亙って ―― 恰も中心的な一つの波が表面的な多くの波に発展するように ―― その生産軸ともいふべき或曲りくねった線が運動し行く特殊な様式を、発見することである。」しかしてこの線は、図形に於て目に見える線の何れでもないことがある。それは彼処になくて此処にあるといふやうなものではなく、全体を啓く鍵なのである。それは眼によって認められるといふよりも精神によって思惟される(91頁)。