「パスカル『病の善用を神に求める祈り』を読む」と題を打ちながら、その『祈り』の本文ではなく、メナール教授による解説を追っているのは、その解説がこの作品について現在望める最良の解説の一つであるからだが、そうするのにはもう一つ、私にとってはもっと大きな理由がある。それは、私個人が直面している困難として、『祈り』の本文だけ読んでも、テキストの内実に入り込むための入口がどこにも見つからなくて途方に暮れているということである。
この『祈り』は、一六六六年に刊行された『信心論集』(Divers Tratés de Piété)という、すべて匿名の作品からなる文集の冒頭に収められたテキストがその初版と見なされており、以後、数多くの版を重ね、とりわけ『パンセ』の中に含まれる形で公にされてからは、パスカルの『祈り』として広く知られ、いわば「秘密なし」の状態にあると見なされてきた作品であった。
『祈り』の写本にまで遡っての厳密なテキスト校訂は、それゆえ、メナール版『パスカル全集』の刊行(一九九二年)まで待たなければならなかった。その結果、ブランシュヴィック版とは四〇箇所以上の、ラフュマ版とは九〇箇所以上異なる新しいテキストが提示されることになり、しかも長いあいだパスカルが若いときに書いたとされてきたのに、一六六〇年秋以降に一種の精神的遺言として書かれたと見なされることになった。これは、パスカル研究者たちにとっては、パスカルの思想と信仰について重大な問題提起を含んだ結論であろう。
しかし、ただ自分の関心からパスカルを読んでいるだけの一読者に過ぎない私にとっての問題は、そのような学問的に厳密な校訂を経たテキストが読めるかどうかということやこの小品がいつ書かれたかということよりも、パスカルの死後わずか四年にして、『祈り』が独立のテキストとして刊行され、以後フランス語圏キリスト教世界で広く読まれてきたという事実のほうなのである。言い換えれば、刊行当時の、そしてそれ以降の時代の読者たちがどのようにこの『祈り』を読んできたのかという受容史的問題のほうが気にかかるのである。自分の関心に沿って問題をもっと一般化して言えば、思想の伝統に連なるとはどういうことなのかという問題が私を苦しめている。
この作品の完成度が高ければ高いほど、私にとってはその敷居も高くなる。「病気というきわめて個人的経験から生まれた作品であるが、キリスト教のあらゆる伝統、とりわけアウグスティヌス的伝統に基づいていることが明らかになり、キリスト教における病気のテーマを見事に集大成している」(白水社『【メナール版】パスカル全集』四六〇頁)作品の、厳密な校訂を経た原文を物質的には目の前にしながら、精神的にはどれほどそこから遠いところに自分は立っていることか、と自問せざるを得ない。いや、何度読もうとしても、それを拒絶するかのように屹立し、それどころか、遥か彼方へと遠ざかろうとするテキストを前にして、自分が今どこに立っているのかさえ怪しくなり、精神の眩暈を感ずるのをどうすることもできないでいると言ったほうがもっと実感に即している。