内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

Penser au 《 milieu 》(「環境」を考える) ― ジルベール・シモンドンを読む(4)

2016-02-19 13:52:04 | 哲学

 シモンドンの記念碑的な二大主著 L’individuation à la lumière des notions de forme et d’informationDu mode d'existence des objets techniques とをそのテキストそのものに立ち入って理解することを試みる前に、そのための一つの道案内あるいは手掛かりとして、 Jean-Huges Barthélémy が Simondon(Les Belles Lettres, coll. « Figures du Savoir », 2014)で提示しているシモンドンの哲学のシンプルな見取り図を一瞥しておこう。ただし、私自身の解釈もあちこちに織り込みながらそれを辿っていくので、同書の単なる紹介ではないことを予めお断りしておく。
 著者によれば、シモンドンの哲学には、 « milieu » という言葉の二つの意味 ― 「環境」と「真ん中」 ― から引き出される二つの根本則がある。この二つの根本則は、« penser au milieu » という表現が有しうる二つの意味に対応している。その二つの意味は、著者によって、“penser au « milieu »” と “penser « au milieu »” とに書き分けられている。前者は、「『環境』を考える」、後者は、「『只中で』考える」、と訳し分けることができるだろう。
 今日の記事では、前者、“penser au « milieu »” の意味するところを見ていこう。
 シモンドンにおける個体化(individuation)論は、つねに、個体そのものだけではなく、その発生の環境を同時に考察の対象とする。このことは、直ちに、個体化の種々の異なった体制を同じ数だけの〈個体-環境〉関係の型として考えるということを意味している。この多様でありうる環境は、それが超個体的でありかつ複数の個体に通底して共有されている(« transindividuel »)、社会化された「心理」機制(« psychosocial »)として働くとき、個体に対して外的で、それ自体は同一のままにとどまる「客観的」な環境ではもはやありえない。この社会化された心理空間では、個体は、環境に規定されるものであると同時に、その環境に働きかけ、それを変えていく行為主体でもある。
 このような個体と環境との可塑的な関係は、相互に交換不可能な主体と客体との関係でもなく、一方的な原因と結果との関係でもない。このような個体と環境との相互規定性と相互因果性とが、私たちが実際生きている生活世界を特徴づけている。
 シモンドンは、生きた個体とその環境とに見られるこの動的・可塑的・可変的・双方向的な関係性を、技術的対象、つまり技術による産出物とそれがそこで機能する環境との間にも見出そうとする。つまり、技術的対象もまた、それが置かれた環境と不可分であり、しかも、その環境によって一方的にただ一度かぎりその機能が固定されてしまうのではなく、個体として己がそこで機能する環境を変える可能性を有っており、また、置かれた環境が変わることによってその機能も変わる、と考えるのである。
 しかし、この段階では、ある技術的対象としての個体は、産出された一つの個体として機能しているという意味では「個体化」していると言えるが、他の「同一」の技術的対象と交換可能であるかぎりにおいて、「個別化」されてはいない。
 同一モデルの別の製品と交換可能な一製品に過ぎなかった技術的対象が、同一モデルの他の製品とは区別されうる、個別の、場合によっては「かけがえのない」、対象となることもある。このような関係性の成立を、「個体化」(« individuation »)と区別して、「個別化」(« individualisation »)とシモンドンは呼ぶ。