内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

パスカル『病の善用を神に求める祈り』を読む(1)

2016-02-05 04:49:31 | 読游摘録

 昨日の記事の終わりの方に引用した Un lit de malade six pieds de long の後書( « Postface »)の箇所の最初の文の末尾には注がついていて、子規の「病気の境涯に処しては、病気を楽しむといふことにならなければ生きて居ても何の面白味もない」という一文について、それがパスカルの『病の善用を神に求める祈り』(Prière pour demander à Dieu le bon usage des maladies)を思わせるとの言及がある(« On pense à la Prière pour demander à Dieu le bon usage des maladies, de Blaise Pascal, parue anonymement en 1666. », op. cit., p. 305)。確かに、子規のこの一文を読んでパスカルの『祈り』を想起する人もいるかも知れない。しかし、それはその人の教養(あるいはディレッタンティズム)によることで、それ以上の意味はないと私には思える。

 しかし、この注が私をパスカルの『祈り』へと立ち戻らせたのは事実である。今、「立ち戻らせた」と書いたのは、以前にもこのパスカルの『祈り』を何度か読んだことがあり、それに対する自分の考えをまとめておこうとしたこともあったのだが、正直なところ、その内容にちょっとついていけないものをその都度感じてしまい、考えをまとめるには至らなかったということがあったからである。今もまだまとまらない。が、せっかく手元にメナール版『パスカル全集』第四巻とそれに基づいた白水社版の『パスカル全集』第二巻が手元にあるのだから、この「恵まれた」機会に読み直しておこう。
 今日のところは、手始めとして、『全集』の解説のごく一部を仏語・日本語両版から抜粋するにとどめる。
 パスカルの小品集の中でも最も完成した形をもっているこの『祈り』は、「その着想においても、言葉づかいにおいても、類を見ない」(« Par l’inspiration et par le langage, elle est radicalement unique », Pascal, Œuvres complètes, vol. IV, Desclée de Brouwer, 1992, p. 996 ; 『【メナール版】 パスカル全集』第二巻,白水社,1994,p. 461)作品である。
 「聖書、聖アウグスティヌス、神秘家という三つの伝統のなかに置かれることによって、『祈り』は、過去の宗教経験のすべてに養われたものとして姿を見せている。しかしながら、パスカルは、この経験を、彼独自の仕方で吸収し、生き、考えている。この経験が凝集されたこの小品は、比類のない輝きをもった宝石のように輝いているのである」(上掲書『パスカル全集』,p. 455 ; « Replacée dans cette triple tradition, biblique, augustinienne et mystique, la Prière apparaît nourrie de toute expérience religieuse du passé. Mais Pascal l’a assimilée, vécue, pensée, d’une manière toute personnelle. L’écrit dans lequel il la condense brille comme un joyau d’un éclat unique. », Œuvres complètes, op. cit., p. 990)。
 「この作品では、祈り方が根本的に新しい。病人の祈り、あるいは病人のための祈りは、キリスト教のあらゆる時代に見出される。でも、それらの祈りは、概して、回復を求めることを目的としている。パスカルにあってもこの目標が排除されてはいないが、副次的なものとなっている。重要なのは、未来ではなく現在であり、病の「善用」なのである。となると、テーマは、キリスト教の神秘全体の次元にまで広がることになる。人間存在についての見解のすべて、霊的生活の原理のすべて、この世に対する神の計画のヴィジョンのすべてにかかわるものとなったのである」(上掲書同頁 ; « La démarche fondamentale est radicalement neuve. Certes, les prières de malades, ou composées à l’intention de malades, sont de tous les âges du christianisme. Mais elles visent, pour l’essentiel, à demander la guérison. Chez Pascal, cet objet n’est pas exclu ; mais il est secondaire. Ce qui compte, ce n’est pas l’avenir, c’est le présent, c’est le « bon usage » de la maladie. Dès lors le sujet s’élargit aux dimensions du mystère chrétien dans son ensemble. Il engage toute une conception de l’expérience humaine, toute une spiritualité, toute une vision du dessein de Dieu sur le monde. », op. cit., p. 990-991)。