内的自己対話-川の畔のささめごと

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パスカル『病の善用を神に求める祈り』を読む(6)―「神を覆うヴェール」

2016-02-10 05:23:53 | 読游摘録

 パスカルにおける三項モデルは、最初、一六五四年に執筆が完了したとされている Traité du triangle arithmétique et Traités connexes(『数三角形論ならびに同一主題に関する若干の小論文』、刊行はパスカル没後の一六六五年)の中に、線・面・立体という幾何学的三項モデルとして現われる。一六五六年末、ロアネーズ嬢宛のいわば「心霊指導」ための手紙の中で、三項モデルは、初めて道徳的宗教的概念に適用される。その書簡において、「神を覆うヴェール」として、自然、キリストの人間性、聖体の形色が重ね合わされている。同書簡の当該部分を引用する。

Il [=Dieu] est demeuré caché sous le voile de la nature qui nous le couvre jusqu’à l’Incarnation ; et quand il a fallu qu’il ait paru, il s’est encore plus caché en se couvrant de l’humanité. Il était bien plus reconnaissable quand il était invisible, que non pas quand il s’est rendu visible. Et enfin quand il a voulu accompli la promesse qu’il fit à ses Apôtres de demeurer avec les hommes jusques à son dernier avènement, il a choisi d’y demeurer dans le plus étrange et le plus obscur secret de tous, qui sont les espèces de l’Eucharistie (Œuvres complètes, vol. III, Desclée de Brouwer, 1991, p. 1035-1036).

神は受肉のときまで、ご自分を隠す自然の覆いのもとに姿を隠されたままでした。そしていよいよ姿を現わさなければならない段になると、人間の肉をまとうことでさらにいっそうご自身を隠されました。目に見えないものであられたときのほうが、目に見える姿をお取りになったときよりはるかに知られやすかったのです。そして最後に、神が使徒たちになさった約束、すなわち最後の来臨まで人びととともにおられるという約束を果たされようと望まれたとき、神は、聖体の形色という何にもまして不可解で晦冥な神秘のうちに隠れてそうするこおとを選ばれました(白水社『【メナール版】パスカル全集』第二巻、329頁)。

『パンセ』の中には、三項モデルがしばしば現われる。特に、自然・恩寵・栄光の階層(ラフュマ・275、ブランシュヴィック・643)を例として挙げることができるが、このモデルの完成形態を見ることができるのは、肉体・精神・愛の三つの秩序の断章である(ラ・308、ブ・793)。
後者から一節のみ引用する。

Les saints ont leurs empires, leur éclat, leur victoire, leur lustre et n’ont nul besoin des grandeurs charnelles ou spirituelles, où elles n’ont nul rapport, car elles n’y ajoutent ni ôtent. Ils sont vus de Dieu et des anges et non des corps ni des esprits curieux. Dieu leur suffit.

聖徒たちは、彼らの威力、彼らの光輝、彼らの勝利、彼らの光彩を持ち、肉的または精神的偉大を少しも必要としない。彼らの偉大は、肉的または精神的偉大と何の関係もない。後者は前者に加えも引きもしないからである。聖徒たちは神と天使とからは見えるが、身体と好奇的精神とからは見えない。彼は神だけで十分なのだ(前田陽一訳)。

聖人たちにも、おのれ固有の支配圏、栄光、勝利、光輝があり、肉的な偉大さも精神的な偉大さも必要としない。ここでは、そのような偉大さは無縁だ。どれほどの偉大さをそこに加えても、またそこから引いても、何も変わらないのだから。彼らを見るのは、神と天使たちであり、肉体でも、詮索好きの精神でもない。彼らには、神だけで十分だ(塩川徹也訳)。

 この引用の中の « car elles n’y ajoutent ni ôtent » の箇所に Phillipe Sellier 版は、以下のような脚注を付けている。

Ce passage, comme l’ensemble du fragment, repose sur le principe mathématique énoncé par Pascal dans sa Sommation des puissances numériques : « Des grandeurs d’un genre quelconque, ajoutées, en tel nombre qu’on voudra, à une grandeur d’un genre supérieur, ne l’augmentent de rien. Ainsi les points n’ajoutent rien aux lignes, les lignes aux surfaces, les surfaces aux solides » (Œuvres complètes, t. II, P. 1271).

 この注をほぼ踏襲しつつ典拠箇所をさらに広く示している注が、塩川徹也訳の「どれほどの偉大さをそこに加えても、またそこから引いても、何も変わらないのだから」の後に付けられている。

下位の次元の大きさが、上位の次元の大きさに影響を及ぼさないという考えは、『数三角形論』の付属論文として発表された『冪数の和』(一六五四年頃執筆)の中で提示された次の原理に通じている。「連続量においては、任意の種類の量を、それより上位の種類の量に何回加えても、後者は何ら増大しない。こうして点は線に、線は面に、面は立体に何ものをも加えない。あるいは数論らしく、数に関する言葉を用いて言えば、根は平方に、平方は立方に、立方は平方自乗に何ものも加えないのである」(塩川徹也訳『パンセ(上)』岩波文庫、2015年,376頁)。