トランスデュクシオン(transduction)は、生成の原理であると同時に、と言うよりも、まさにそうであるからこそ、シモンドンの思考のダイナミズムの原理でもある。言い換えれば、シモンドンの個体化の哲学そのものが一つの個体化過程なのであり、その原理がトランスデュクシオンだということである。
昨日の記事で引用したシモンドンのテキストの中にあったように、トランスデュクシオンは、物理、生物、心理、社会の諸次元に生起する。しかし、それらすべての次元において同様な仕方でではない。列記した四つの次元の順序にその過程は複雑化するとも言えるが、心理と社会との関係は前者が後者の単なる前段階ということを意味しているのではない。シモンドンは « psychosocial » という言葉をよく使うが、これを「社会心理」と訳してしまうと誤解を招きやすい。むしろ社会における心理固有の次元あるいは機能がそこでの問題だからだ。
トランスデュクシオンは、とくに心理の次元において、より正確には、一個の主体の創発的思考の次元において、その過程そのものをもっとも典型的に示す。演繹(déduction)が出発点となる公理からすべてを論理的導出する思考の操作であり、帰納(induction)がその逆に経験的所与からそれらに共通する法則を引き出す思考の操作であるとすれば、そのいずれによっても現実の生成過程である個体化を捉えることはできない。思考作用とその対象の生成とを自らの構造化を通じて実行していく過程がトランスデュクシオンであるとすれば、ただトランスデュクシオンにおいてのみ、現実の個体化のプロセスが己自身の事として「リアルタイム」で内的に把握されるということが成立しうる。
ここに、私たちは、シモンドンのトランスデュクシオンと西田哲学の「自覚的限定」との接点を見出す。