昨日の記事の終わりの方で用いた「百科全書的」(« encyclopédique »)という言葉は、シモンドン自身によって Du mode d’existence des objets techniques(nouvelle édition revue et corrigée, Aubier, 2012)の第二部第一章第三節の中で用いられており、同節には、「百科全書的」精神の歴史的展開と発展について十数頁に渡る論述が見られる。
シモンドンによると、「百科全書的」精神は、西洋において三段階を経て発展してきている。第一段階がルネッサンス期であり、それは宗教改革による倫理的・宗教的革命と時代的に重なる。第二段階が十八世紀の啓蒙時代であり、この時期にフランスではまさに「百科全書派」が登場する。科学思想はすでに第一段階で宗教的権威から解放されていたが、技術思想はまだそうではなかった。この第二段階において、科学思想が技術思想を解放する。商業、農業、工業の諸分野で広く科学技術が適用され、それを通じて総合的な技術思想も生れて来る。そして第三段階が、シモンドンにとっての現代、つまり1950年代後半の高度産業技術社会の時代ということになる。
しかし、この「百科全書的」精神の第三段階は、当時まだその緒についたばかりであり、それを現実に即して展開することがシモンドン自身の課題であった。この第三段階は、科学知・技術知の単なる総合的な集積に終わるものでもない。シモンドンが試みるのは、諸科学技術の現実的な哲学的統一である。シモンドンの「百科全書主義」(« encyclopédisme »)の新しさは、万物の生成を、その物理的なレベルでの個体化から、生物的レベルの個体化、心理的レベルの個体化を経て、個々の主体の成立を可能にしかつ複数の主体に通底する超個体性のレベルに至るまで、包括的かつ根本的に捉えようとするところにある。
シモンドンの哲学は、あらゆる意味で還元主義に対立する。つまり、より高次の構成体をより基礎的な要素に還元することを個体化過程のどのレベルにおいても峻拒する。また、いかなる形而上学的イデアリスムにも反対する。つまり、それ自体でつねに自己同一なままの実体をいかなる次元においても認めない。そして、より高次の総合レベルにのみ優位を置く弁証法的思考にも与さない。
複雑で動的な開放系であるシステム全体をそれとして包括的かつ徹底的に考えることへとシモンドンの哲学的思考を動機づけているのは、己の個体性を自覚した主体のレベルでは、その考える主体自身が個体化の生成過程にあるから、その生成の認識自体が生成過程にあるという徹底した自覚である。
言い換えれば、シモンドンの哲学的直観は、以下のような存在のパラドックスの把握にあると私には思われる。
個体化の問題を考えている主体自身がその問題の一部をなしている。したがって、固定化された個体としての主体のレベルにとどまり、問題を主体と切り離して対象として考えるかぎり、その問題を解くことは原理的に不可能である。個体レベルを超越した次元の生成に自ら投企しつつ、その次元によって規定されることを主体が受け入れるときにはじめて、主体としての個体化が、そのかぎりにおいて、一定期間、しかも個体化以前の次元を保持しつつ、成立する。