シモンドンにおける「個体化」(« individuation »)とは、「生成」(« genèse »)に他ならない。個体化論は一般生成論に他ならない。
生物レベルでの個体の生成を考えるとき、その生成がそれが発生する環境と不可分であり、個体と環境とは相互に作用的に限定し合う関係にあるというところまでは、何もシモンドンに固有な思想ではない。それどころか、少なからぬ哲学者や科学者たちによって支持されている生命観である。
それでは、どこにシモンドンの哲学に固有な考え方が見出だせるのだろうか。
一言で言えば、それは、上のような生命観に見られる生物個体とその環境との相互限定的発生モデルを、物理的個体と技術的個体とにも適用されうる汎用的モデルとして拡張したことにある。
シモンドンが個体と「結び合わされた環境」(« milieu associé »)というとき、個体とその環境とがそれぞれ独立にまずそれとして存在して、それから両者の間に関係が発生するという考え方がはっきりと否定されている。己の哲学に固有な概念を創出したり、既存の哲学用語に己に固有な定義を与えたりしてシモンドンが捉えようとしているのは、個体とその環境との分化の機制そのものなのである。
シモンドンの個体化理論の基礎モデルは、当時の物理学の知見、より正確には、波動力学がもたらした世界像から得られたものである。とりわけ、波動力学の定式化の基礎となったルイ・ド・ブロイの波動理論は、シモンドンの個体化理論の形成過程で決定的な役割を果たしている。シモンドンの一般個体化理論の形成にとって、波動力学は、前物理的かつ前生命的な状態を考え、そこから物理的個体と生命的個体の生誕を考えることを可能にする基礎モデルを提供しているからである。
このように物理学によって与えられた基礎モデルから考えられた生命体思想の発想が、技術の思想にも適用される。この適用が以下のような「技術的個体」(« individu technique »)論をもたらす。
技術的対象は、その「系統発生」の長い系列を通じて、しだいしだいに具体化される。その過程を通じて、技術的対象の「個別化」(« individualisation »)は徐々に目に見える形を取るようになる。この個別化によって、技術的対象は、生命体の場合に擬えられるような仕方で、己が「結び合わされた環境」との関係によって自己生成を実行する。そして、機械工業の時代に到って、まさに「技術的個体」としての機械が誕生する。
技術的存在は、しかし、生物個体とは以下の点において異なる。
生物個体が最初から或る具体的な生きた形を取るのに対して、技術的存在が十全に具体化された個体となるまでには果てしなく長い漸近的なプロセスを辿る。
一方、社会心理的となった生物個体にとって、つまり社会的存在となった人間にとって、その環境が決定的な重要性を有つことは言うまでもない。そこで特に問題となるのは、環境が一つの社会集団であるとき、その環境は、単に環境であるかぎりにおいて個体と関係するだけでなく、それもまた個体化することである。そのとき、その環境としての社会集団は、それもまた個体として、その成員である各個体と同様に、心理的主体となる。
この重層的個体性が、人間社会を生物社会に還元することを不可能にし、人間社会に固有な複雑性をもたらす要因の一つとなっている。
因みに、この論点については、昨年拙ブログで6月30日から7月10日にかけて検討したヴァンサン・デコンブの「集団的個体」 (« individus collectifs »)論と重なるところがあることを注記しておく。