シモンドンは、ある現実一般が現勢的なものとして構成される生成過程を「個体化」(« individuation »)と呼ぶ。ここでいう現勢的なものとは、潜在的であったものを現実に機能させているものということである。ある個体の生成が、他の個体の生成に依存せず、この意味で根本的であるとき、潜在的なものとは、「前個体的」(« pré-individuel »)なものでなくてはならない。このような根本的な生成過程からすべての個体化が発生するとシモンドンは考える。
ここで言われる個体とは、いわゆる生物個体や単体としての特定される物体に限定されるものではない。複数の構成要素からなる集合もまた、それらがそれらとして或る一定期間同定されるかぎり、或る一つの個体化の結果と考えられる。なぜなら、あるグループがそれとして存在し機能するのは、そのグループに帰属しそれを構成する個々の個体の現実に関与することができる統一体としての権能をそれが有するかぎりにおいてだからである。そうであるかぎりにおいて、そのグループは、統一体として、つまり一つの個体として、その構成員である各個体に個別的なパーソナリティを与えることもできる。
万物の生成を包括的に考えることは、あらゆる百科全書(私は、ここで、西周がエンサイクロペディアの訳として考案した「百学連環」という美しい言葉を使う誘惑にかられる)主義がその目的とするところである。このような包括的な個体生成理論の構想は、諸学問を真に統合するためばかりでなく、人間と技術との関係をよりよく理解し、現代技術社会に相応しい新しいユマニスムを基礎づけるためにも不可欠である。
シモンドンの個体化の哲学が批判の対象としているのは、文化を自然からも技術からも切り離し、両者と対立させて考えようとする、当時まだ西欧にも根強かった文化主義的あるいは精神主義的ユマニスムである。
シモンドンは、個体化理論の構築を通じて、自然・文化・技術の総体との関係において人間の再定義を試みる。人間は、そこにおいて、心理的・社会的な生命過程として規定される。文化は自然の延長として、技術は文化の一つの位相あるいは段階として、自然・文化・技術の三者が全体として総合的に把握される。
このような広大で開かれた視野から、技術による生産品は、それを生産した主体としての人間のうちに含まれた自然の文化的表現の一つとして捉え直される。それゆえ、技術の産物は、反自然的なものではなく、人間における自然に与えられた形の一つなのである。この人間における自然とは、しかし、人間に固有な本性のことではなく、生命体の生命が延長され、自己超越を行うことが可能になる心理的・社会的関係の基盤のことである。
シモンドンの個体化の哲学が企図しているのは、自然と文化と技術の間の三重の相互的和解である。これらの三項のいずれかによって他二者を批判し、それらと対立することで己の自立性を確保しようとするあらゆる思想にシモンドンは異議を唱えているのである。
序に一言加えれば、シモンドンの哲学は、はるかに時代に先駆けて、教条的な自然保護主義に対する根本的な批判の哲学的基礎を準備していたとも言うことができる。
個体化の哲学に裏づけられたこの新しいユマニスムは、一方で、人間を生体一般へと統合し、他方で、技術を文化へと統合することを通じて、技術と自然との連続性を再生させることを己の根本的課題としている。技術とは、自然を延長し、人間の文化へとそれを開き、繋ぐことである。この人間の文化を、シモンドンは、ある講義録の中で、「進歩」(« progrès »)と呼び、動物の「文化」と区別する。後者には進歩がないからである。
しかしながら、シモンドンは、人間と動物を非連続な二つの存在範疇とは考えない。「人間」とは、人間化という一つの個体化過程に過ぎない。逆に言えば、霊長類がもし「進歩」することがあれば、すでにそのときその霊長類はこの人間化としての個体化過程に入っていることになる。