内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

技術者、世界との直接的な対話によって共同体から自己解放できる人間 ― シモンドン研究を読む(13)

2016-09-15 09:02:09 | 哲学

 現在シモンドンの主著 L’individuation à la lumière des notions de forme et d’information(=ILFI)から引用する際には、Jérôme Millon 社から2005年に刊行された一巻本に拠るのが一般的であるが、同書が出版される前のシモンドン研究論文・著書に関しては、この主著の前半と後半とが四半世紀を隔ててそれぞれ L’individu et sa genèse physico-biologique (PUF, 1964)、L’individuation psychique et collective (Aubier, 1989) として出版され、しかも前者は1995年に Jérôme Millon 社から新版が出ているために、人によって引用の際に依拠する版が違っていて、ILFI で引用箇所を同定するのが少し面倒である(これら三著も古書としては現在も入手可能だが、べらぼうな値付けになっている)。しかし、 ILFI 版に « Compléments » として収録されている « Note complémentaire sur les conséquences d’individuation » は二十五頁と短いので引用箇所を探すのも比較的簡単である。
 さて、シモンドンがなぜ医者を「純粋な個体としての技術者」(« technicien comme individu pur »)と見なすのか、その理由を見ていこう。
このテキストで、技術的な操作は、文化的な媒介を経ない「対象との直接的な対話」(« dialogue direct avec l’objet », op. ci., p. 511)と定義される。

On ne doit pas oublier que la première apparition d’une pensée individuelle libre et d’une réflexion désintéressée est le fait de techniciens, c’est-à-dire, d’hommes qui ont su se dégager de la communauté par un dialogue direct avec le monde (ibid., p. 511-512).

忘れてならないことは、自由な個人的思想と公平無私な考察との最初の出現とは、技術者のこと、つまり、世界との直接的な対話によって共同体から自らを解放できた人間のことだということである。

 この箇所だけ読んでも、私たちが近現代社会の技術者のことを念頭に置いてしまうかぎり、理解し難い主張に見えるかもしれない。それは、私たちにとって、どのような共同体からも自由な技術者を想像してみることが難しいからだ。
 ここで問題になっているのは、しかし、古代ギリシャ社会における技術者たちの出現である。とはいえ、単に古代における技術者の活動の歴史的意義が問題なのでもない。明らかにされるべきなのは、技術の本質であり、そのかぎり、現代社会における技術にも妥当することとして議論が展開されようとしている。
 本質的には、技術者が身に着けている技術的能力は自分が属している社会から与えられたものではなく、むしろその能力が彼らに社会的地位を得させている。その能力は、技術者の社会的機能とは独立に、直接的に対象としての世界に働きかけることができる。