内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

人間個体発生初期段階における技術的介入の文化的統合 ― シモンドン研究を読む(4)

2016-09-05 16:58:30 | 哲学

 Gilbert Simondon. Une philosophie de l’individuation et de la technique に収録されている論文の執筆者たちは、シンポジウム開催当時すでにそれぞれの分野で高名な教授あるいは研究者たちであり、シモンドンと同世代か後世代だとしても世代的に近く、シモンドンと面識があったか、少なくとも謦咳に接したことがあったとしてもおかしくない人たちである。そのような世代に属する彼らがこのシンポジウムに参加したということは、それぞれ専門とする分野でのシモンドン哲学の貢献と可能性を次世代に継承するという意図もあったに違いない。
 第一論文の筆者はアンヌ・ファゴ=ラルジョ(Anne Fagot-Largeault, 1938-)。哲学者・精神医学者。2000年から2009年までコレージュ・ド・フランスの生命科学・医学哲学講座の教授。女史のコレージュ・ド・フランスでの講義の一部はこちらのサイトで聴くことができる。シンポジウム当時はパリ第十大学教授。2002年に 三人の共編著者の一人として Philosophie des sciences I & II という総頁千三百頁を超える二巻本を Gallimard から « Folio essais » (inédit) として出版している。その第二巻に女史によって書かれた « L’émergence » と題された大変示唆に富んだ一章があり、拙ブログの2014年9月2日・3日の記事でラヴェッソンの習慣論を取り上げた際にその章に依拠した。その章の中にも三頁に渡ってシモンドンへの言及が見られる。
 さて、当の第一論文である。タイトルは « L’individuation en biologie »。まさに女史の専門分野におけるシモンドン哲学の貢献の可能性がテーマである。より正確には、シモンドンの個体化論と技術の哲学とが今日の生命倫理に関わる努力の意味を考えるにあたってどのような知解の光を投じてくれるかという問題が立てられる。より具体的には、個体発生の初期段階における技術的介入、例えば、人工授精・出産前検診・遺伝子治療などの技術的介入の可能性をいかに文化的に受け入れるかについて、私たちにそれらを倫理の問題として考えるためのどのような概念装置をシモンドン哲学が提供してくれるかという問いが立てられる。
 明日の記事から、同論文を読むことで、ファゴ=ラルジョ教授の指導の下、シモンドンと対話しながら、前段落に提起された問題を私たち自身も考えていこう。