ファゴ=ラルジョ教授による生物学的観点からのシモンドン批判の続きを読んでいこう。
形成過程にある有機体は発展していくにつれてその個体化を強化するというシモンドンのテーゼは発生学のいくつかのデータによって確証されうる。例えば、ヒトの胎児は免疫システムの成熟以前はより個体化の程度が低いと言うことができる。
しかし、形成過程にある有機体はその遺伝情報を積極的に書き換えるという考えをほのめかすとき、シモンドンは新ラマルク主義の仮説に従っていることになるが、その仮説は生物学的事実によっては検証されていない。生物学の知見によれば、遺伝情報が自然の中で書き換えられるのは偶発的な出来事であり、有機体自身によって導かれてではない。
免疫システムが成熟すると、有機体にとっての非自己に対する攻撃性・破壊傾向が働き始めるが、この過程はシモンドンが描く個体化の統合過程とは大きく隔たっている。
有機体の衰退の諸原因(死の内的原因)に関しては、生物学的には、シモンドンが言うようにそれらを過剰な差異化の側に探さなければならないとは考えられず、むしろ差異化の減退(情報の喪失、細胞機能の誤作動)の側に探すべきだろう。
同一の説明図式が(すべての個体化の)すべての進化段階を説明できるというシモンドンの仮説は興味深いとファゴ=ラルジョ教授は言う。その図式は一つの認識理論から借りたものだが、この理論によると、発明は統合的な手探りであり、場当たり的な手探りではないし、既成の処方の適用でもない。このような考えは尊重に値する選択だと教授は考える。
このシモンドンの選択は、生物学的進化に関しては、生存競争の役割に関するあらゆる考察を退けることへと導く。生物間の離隔は生存競争ではない。葛藤を前個体化段階に投げ返すことによって、シモンドンは、進化の過程を調和と和解の実行の過程として現れさせる。生物が個体化すればするほど生物間のコミュニケーションは向上するというシモンドンの考えは確かに美しいが、それを生態系に適用するのは困難である。
生物のレベルで発生する問題群が心理的な問題群へと昇華されるとき、この後者の問題群は通・超個体的なもの(trans-individuel)において解決されるとするシモンドンの考えは理解し難い、と教授は言う。ただ、生成を構成する持続的な個体化という考え方は、単なる媒介にすぎない生物学的な個体性に結びついた苦痛や死についてくどくどと論じないよう私たちに要求するという点には理解を示す。
要するに、シモンドンの考察は、それが存在論的なものであれ、すでに倫理的(目的論的)なものであれ、進化の総合理論の古典的な諸テーゼからは著しく隔たっているということである。