内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

類比とコミュニケーションの哲学 ― シモンドン研究を読む(6)

2016-09-07 17:34:08 | 哲学

 昨日の記事で取り上げた二十世紀の形而上学の系譜に、世代的にはシモンドンよりも二世代ほど上になるが、シモンドンと同じくベルクソンの影響を受けながら独自の存在の形而上学を構築した哲学者としてのルイ・ラヴェル(1883-1951)付け加えることができるだろう。なぜなら、ファゴ=ラルジョ教授の論文は、生物レベルでの個体化に問題領域を限定しているから、そこにラベルの名前が出てこないのは当然のことであるが、存在を実体としてではなく acte(作用(働き)として捉える点において、ラヴェルはシモンドンと同じ形而上学の系譜に属していると見なすことができるからである。
 ファゴ=ラルジョ教授は、二十世紀の形而上学の系譜を辿り直した後、シモンドンの個体化の哲学の要点を示す。しかし、ここでファゴ=ラルジョ教授によるわずか数頁の要約を繰り返すには及ばないだろう。なぜなら、シモンドンの個体化の哲学の内容については、拙ブログで2月16日から7月16日にかけて、途中何回かの中断を挟みつつも延々と百十九回にわたって、L’individuaiton à la lumière des notions de forme et d’information (=ILFI) を読みながらその祖述を行ったからである(まだ終わっていないが)。だから、ここでは、ファゴ=ラルジョ教授がシモンドン哲学全般を通じての特徴をどう捉えているかだけを見ておこう。
 一言で言えば、シモンドンの哲学は、類比とコミュニケーションの哲学である。
 思考に対して外的な現実界の個体化については、直接的認識は不可能であり、類比的認識のみが可能であるとシモンドンは考える。「ただ思考の個体化のみが、己自身を実現しながら、思考以外の他の諸存在の個体化に付き添うことができる」(« Seule l’individuation de la pensée peut, en s’accomplissant, accompagner l’individuation des êtres autres que la pensée »)。この思考の個体化と思考外存在の個体化との併行作業が両作用間の類比を実現する。この類比関係は、一つのコミュニケーション・モードである。主体にとって外部の現実の個体化は、その主体における認識の類比的な個体化のゆえにこそ当の主体によって把握される。ここで注意すべきことは、思考する主体によって主体ではない存在の個体化が把握されるのは、認識の個体化によってであって、(いかなる個体によっても実際に担われてはいない非人称的な)認識のみによってではない、ということである。