内的自己対話-川の畔のささめごと

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科学が形而上学的仮説を否定するとき ― シモンドン研究を読む(7)

2016-09-08 16:31:09 | 哲学

 ファゴ=ラルジョ教授の論文の中で、生物学の知見に基づいてシモンドンに対する批判が展開されているところを読んでいこう。
 1960年代、進化生物学と当時生まれつつあった分子生物学とは、偶然と必然との間の相互作用に象徴されるような進化過程の表象へと収斂しつつあった。当時にその傾向を拒絶するには相当な哲学的動機を必要とした。シモンドンの拒絶の動機は実際非常に強いものだった。シモンドンは、生成に、それゆえ特に道徳的責任に意味を与えるという哲学的「賭け」に出たのである。それは神学的根拠づけに回帰するためではもちろんなかった。
 シモンドンのその賭けは、しかし、危険を孕んだものであった。道徳を一つの存在論(創造説を取らず、存在の前個体化状態を想定する仮説)に基づかせようとし、この存在論を物理学、生物学、工学の分野から借りたいくつかの思考の図式から「派生」させようとすることによって、シモンドンは、後の科学の知見そのものによって自身その仮説を後日否定されるという危険に身を晒していたのである。実際、生物学の最新の成果は、様々な点においてシモンドンの仮説を誤りと見なすことになると思われる。
 このような批判に対しては、科学のある時点での成果によって形而上学を反駁することはできないという反論が予想される。その反論によれば、生物学が個体化された有機体を遺伝子の伝達媒体と見なし、遺伝子のタイプの間に淘汰的な競合関係を見るところに、形而上学者は、別のより普遍的な領野において、全体の中に様々な存在のタイプが湧出する過程を見ることができる。
 ファゴ=ラルジョ教授は、しかし、シモンドンは科学が形而上学的仮説を否定することがあることを受け入れたことだろう、と言う。