今日はシモンドンのテキストそのものを読むので、厳密には「シモンドン研究を読む」という連載のタイトルはそれに相応しくはないが、ファゴ=ラルジョのシモンドンについての論文を読んでいる過程で必要だと私が判断した作業なので、連載タイトルはそのまま維持することにする。
私たちがこれから読むのは、ILFI の補遺の一つ « Note complémentaire sur les conséquences de la notion d’individuation » の第二章 « Individuation et invention » の第一節 « Le technicien comme individu pur » の冒頭である。ただ、その冒頭は第一章の帰結を前提としているので、まずその帰結を私なりにまとめると次の段落のようになる。
「社会」(« société »)は、開かれたものであり、そこに入って来る外なるものに対して柔軟に対応し、その社会の構成要素である個人は自由な主体として行動し、その限りにおいて倫理的価値が形成される。それに対して、「共同体」(« communauté »)は、閉じたものであり、そこでは内と外とを区別する基準が既に固定されており、その基準に応じてしか受け入れと排除が実行されず、もはやその構成要素たる個人は個人として行動することを止め、ただその基準に従って反応するだけの存在であり、したがって、新しい倫理的価値が外部から到来するものとの関係を通じて形成されることはない。
もちろんこれはシモンドンの議論をかなり図式的に要約したものに過ぎず、実際はもっと込み入っている。しかし、第二章冒頭の理解ために必要最小限な論点に限ってまとめればおよそ以上のようになるだろう。
では、第二章冒頭を読んでいこう。
L’activité technique peut par conséquence être considérée comme une introductrice à la véritable raison sociale, et comme une initiatrice au sens de la liberté de l’individu (p. 511).
技術的活動は、その結果、真の社会的理性への導入を可能にするものとして、個人の自由の意味へと導くものとして考えることができる。
それに対して上記の意味での「共同体」においては、個人はその帰属する共同体における機能と同一化される。その機能には二面あり、有機的側面と技術的側面である。確かに、前者の側面においては、個人は完全に共同体における有機的な機能とその有機的状態(軍人であるとか、若いとか年老いているとか)と同一視される。ところが、後者の側面に関しては、個人をある技術とまったく同一化することはできない。なぜなら、その技術には共同体での一個人のレベルを超え出る力能が具わっていることがあるからである。
その優れた例としてここで挙げられるのが医者である。
Le médecin est, dans les poèmes homériques, considéré comme équivalent à lui seul à plusieurs guerriers [...], et particulièrement honoré. C’est que le médecin est le technicien de la guérison ; il a un pouvoir magique ; sa force n’est pas purement sociale comme celle du chef ou du guerrier ; c’est sa fonction qui résulte de son pouvoir individuel, et non son pouvoir individuel qui résulte de son activité sociale ; le médecin est plus que l’homme défini par son intégration au groupe ; il est par lui-même ; il a un don qui n’est qu’à lui, qu’il ne tient pas de la société, et qui définit la consistance de son individualité directement saisie (ibid.).
医者は、ホメロスの詩においては、ただ一人で数人の兵士に相当する者と見なされ[…]、特別に敬意を払われている。というのは、医者は治癒の技術者だからである。医者は魔法の力を有っている。その力は、首長や兵士のような純粋に社会的なものではない。(共同体あるいは社会での)その機能の方が医者個人が有つ力の結果なのであって、その社会的活動の結果として個人的な力が得られるのではない。医者は、集団への統合によって定義される人間以上のものである。医者は己自身によって在る。己自身だけのものである才能を持っており、その才能は、医者が社会に負うものではなく、直接的に把握されたその個体性の確実さを定義している。
今日私たちが病院で診察や処方や手術を受ける医者を想像するだけではシモンドンの言いたいことはわからない。今日の医療の現場の実情からシモンドンを批判しても何も生産的な議論は始まらない。明日も、結論を急がずに、シモンドンのテキストの続きを忍耐強く読んでいこう。