内的自己対話-川の畔のささめごと

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治療行為に内在的な技術的規範性 ― シモンドン研究を読む(27)

2016-09-29 06:55:31 | 哲学

 真正な技術的行為、つまり「創発的技術操作」(« opération technique inventive », ILFI, p. 513)は、同時に自由な行為(創造的)であり且つ規範を確立する行為(つまり、そうでなければならぬものとして己を確立する行為)である。

Le technicien ne peut agir que librement, car la normativité technique est intrinsèque par rapport au geste qui la constitue ; elle n’est pas extérieure à l’action ou antérieure à elle ; mais l’action n’est pas non plus anomique, car elle n’est féconde que si elle est cohérente, et cette cohérence est sa normativité. Elle est valide en tant qu’elle existe véritablement en elle-même et non dans la communauté (ibid.).

技術者は自由に行動することしかできない。なぜなら、技術的規範はそれを構成する行為に内在的だからである。技術的規範は行為に対して外的に或いはそれに先立って存在しない。他方、行為もまた規範を欠いたものではない。なぜなら、その行為が生産的であるのはその行為が整合的であるときだけだからである。この整合性がその行為の規範性なのである。その行為が妥当であるのは、それが真にそれ自身において存在するかぎりにおいてであり、共同体においてではない。

 この引用の後に、ファゴ=ラルジョは、例として癌の遺伝子治療を挙げる。
 人間への最初の試行は、少なくとも実行可能性、最善の場合、有効性と無害性とを実証しなければならない。この試行は、「およそ」(« l’à peu-près »)を一切許容しない(さもなければ、それは無意味か、さらには有罪でさえある)。その試行は、一つの行為の中に、それまで蓄積された治療的・臨床的知識の集成を凝縮させる。それは来るべき時に来るのであり、その時はそれら知識の獲得によって内側から条件づけられているのであって、時の趨勢によって外側から条件づけられているのではない。
 その試行が癌治療を前進させるときは、その試行は今後進むべき道としてその試行自体から己に課される。その試行以前には、遺伝子療法による癌治療の道徳的義務づけはありえない。その治療技術の妥当性は、それが同時に客観的現実に即しており且つその技術そのものの質の基準を確立することに存している。