受苦の現象学的考察は、まだその緒についたばかりですが、さすがに30日連続で同じテーマで投稿し、しかもその大半をルイ・ラヴェルの受苦論の祖述とそれに触発されての若干の私見とに割いたので、いささか疲れましたし、かなり単調な文章になってしまいました。そのすべてではないにしても、お読みくださった方たちも、途中からかなりうんざりされたのではないでしょうか。それが証拠に、訪問者数と閲覧数がどちらも連載後半にはガクッと減っていきました。というわけで、ここで少し休憩したいと思います。
とはいえ、いきなりまったく別の話題に話が飛ぶというわけでもありません。すでに予告したように、ラヴェルの後の考察対象は、ロシアの宗教哲学者ニコライ・ベルジャーエフ(1874-1948)です。ヨーロッパでは、二十世紀前半に多大な影響を与えた思想家の一人として紹介されることが多く、日本でも1940年代以降、主要著作が訳され、1960年代には白水社から全八巻の著作集が刊行され、数度重版されていることからもわかるように、かなり広く読まれたようです。『ドストエフスキーの世界観』(1923)は、邦訳も何度も刊行され、今でもドストエフスキー論の古典の一つとして読まれているようですが、その他の著作はどうなのでしょう。行路社が1984年から刊行を始めた著作集は未完のまま放棄されてしまったようです。やはり、どちらかというと、二十世紀ロシア思想に特に関心がある人たち以外には忘れられかけているのかも知れません。だとすれば、残念なことです。
ベルジャーエフの大半の著作はロシア語で書かれていますが、私が今回取り上げる最晩年の著作 Dialectique existentielle du divin et de l’humain は、パリに亡命後二十年余り経た後、死の前年にフランスで刊行されました。平易な文体で書かれており、おそらく直接フランス語で書いたのでしょう。確証はないのですが、他の仏語版には明記されている訳者名がこの本にはないこともあり、そう思うわけです。
この本は、もはや絶版ですが、古書市場には若干出回っています。ただ、ありがたいことに、Université du Québec à Chicoutimi と提携してボランティアベイシスで運営されている Les classiques des sciences sociales という素晴らしい電子図書館が無料で公開しています。PDF・WORD・RTF いずれのフォーマットでもダウンロードできます(こちらがリンクです)。
この本の第五章が La souffrance と題されています。この章は、 « Je souffre, donc je suis »(「我苦しむ、ゆえに我あり」)という一文で始まります。今日は、同章の最初の方の次の箇所だけ引用します。
Rien de plus absurde que la théorie cartésienne d’après laquelle les animaux seraient de simples automates. Le christianisme n’a pas suffisamment insisté sur les devoirs de l’homme envers les animaux, et sous ce rapport le bouddhisme lui est supérieur. L’homme a des devoirs envers la vie cosmique. Une faute pèse sur lui. Lorsque, assistant à l’agonie de mon chat bien-aimé, je l’ai entendu pousser son dernier cri, ce cri éveilla en moi l’écho de toutes les souffrances du monde, de toutes les créatures du monde. Chacun partage ou doit partager les souffrances des autres et celles du monde entier.
デカルトに対するちょっと乱暴な悪口はさておいて、キリスト教に対して、人間の動物たちに対する諸々の義務を十分に強調していないという批判は独特で、面白いと思いました。その点、仏教のほうが優れているとするベルジャーエフは、宇宙的生命を信じていて、その中で生きている人間は、その宇宙的生命に対してさまざまな義務があると考えています。
その後に、ベルジャーエフの愛猫のことが出てきます。ベルジャーエフは、その猫の最期に立ち会い、最後の鳴き声を聞いたとき、「その鳴き声が、私の中に、世界のすべての苦しみ、この世界のすべての生きものたちの苦しみの反響を呼び起こした」と言っています。各々が他のものたちの苦しみと世界全体の苦しみを共有しなければならない、という汎共苦論とでも呼ぶべき思想がそこに示されています。
愛した猫の最後の鳴き声に世界の苦しみを聴き取ることができるベルジャーエフの感性に私はとても親近感を覚えます。