内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

なつかしさはノスタルジーではない(下)― この世界における存在様態としての「なつかし」

2019-06-24 00:00:00 | 日本語について

 さて、nostalgie の原義はどうであろうか。
 その語史は意外なほど浅い。十八世紀後半に医者たちによって使われたのがその始まりである。その語源は、近代学術ラテン語 nostalgia で、1678年にスイス人医学者がその医学博士論文中で使った造語である。ギリシア語の nostos(帰ること)と algos(痛み・苦しみ)と組み合わせからなる。この学術ラテン語は、スイスですでに通用していたドイツ語 Heimweh(ホームシック、郷愁、懐郷病)の訳として、外国に暮らすスイス人、特に外国に傭兵されたスイス人に見られる病的郷愁を指す精神医学用語として使用されはじめた。つまり、この nostalgia の仏訳であるnostalgie は、故郷・故国を異常なまでに恋しがる苦痛を伴った病的状態が原義であり、もともとは医学用語だったのである。それ以後も、長期間祖国への帰還が叶わぬ戦争捕虜たちや外部世界から隔離された囚人などが陥る憂鬱状態などにこの語は適用されてきた。
 ただ、ここで一言断っておきたいのは、nostalgie という語が医学用語として使用され始める前にこの語の定義に対応する精神状態が存在しなかったわけではないということである。本題から外れるので立ち入らないが、この問題は、今年の三月に98歳で逝去されたジャン・スタロバンスキーが L’encre de la mélancolie (Seuil, 2012) に収録された « La leçon de la nostalgie » と題された章で周到かつ犀利な考察を展開しているので、日を改めてその考察を追うことにする。
 Nostalgie の原義は、上に見たように、日本語の「なつかし」の原義である「目前にある対象の身近に寄りたい、と思う気持ち」とは、大きく隔たっている。どちらも思慕する対象によって引き起こされる心理状態である点では共通するが、「なつかし」には、対象への病的な執着という否定的な意味はまったく含まれていないのに対して、nostalgie の方にはもともとそれが含まれており、 « -alogie » という接尾辞は「苦痛」を意味している。「なつかし」は、目の前にあるものへの愛着が引き起こす感情を指すのに対して、nostalgie は、今は遠く離れたところにある故国あるいは生まれ故郷への身を苛むような執着に苦しんでいる精神状態を指している。
 十九世紀に入って、一般語化し、過去についての悔恨、到達不可能な理想によって引き起こされる憂鬱などについても nostalgie が使われるようになるが、いずれの用例にも共通していることは、何かの不在・欠落・到達不可能性・回帰不可能性などによって陥る精神状態を指していることである。それは、絶対性・純粋性を希求する人たちが陥る無力感についてこの語が使われる場合でも同様である。
 Nostalgie は、希求するものと希求されるものとの間に乗り越え困難な隔たりがあるかぎりにおいて発生する精神状態である。したがって、その隔たりが何らかの仕方で乗り越えられるか解消されるかすれば、そのとき nostalgie もまた消滅する。しかし、希求する対象と希求する自己との隔たりが原理的に乗り越え不可能であるとわかっていながらその対象を希求せざるを得ないとき、希求する者において nostalgie は精神生活の基調となる。
 それに対して、「なつかし」は、死者あるいは滅亡したものが対象である場合でも、それらの回帰不可能性・再生不可能性をそれとして了解しつつも、その不在あるいは非在の対象との現在における心的融合を希求するところに生じる感情である。生と死との間の断絶がそれとして受けとめられながら、〈なつかしきもの〉と〈なつかしむもの〉との感情世界における生死を超えた共生、それが、特定の対象について一時的に感じられる感情としての「なつかし」を超えた、この世界における存在様態としての「なつかし」である。