内的自己対話-川の畔のささめごと

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「形容詞」としての「魂」― 川端康成「抒情歌」についての哲学的考察断片

2019-06-17 01:21:30 | 哲学

 「魂という言葉は天地万物を流れる力の一つの形容詞に過ぎないのではありますまいか。」

 これは川端康成の初期の代表作の一つとされる「抒情歌」の中に、作品の主人公でありかつ語り手である女性の独白として出て来る文である。本作は、恋人に捨てられながら、その恋人をずっと愛し続け、その人の死を知った後、その喪失をどう受け止めるかを、今は亡きその恋人へと語りかける独白形式で綴った作品である。
 川端康成は、「文学的自叙伝」の中で本作への愛着を語り、三島由紀夫は、新潮文庫版『伊豆の踊り子』の解説の中で、本作は「川端康成を論ずる人が再読三読しなければならぬ重要な作品である」と高く評価している。
 類稀な美しい文章で綴られたこの作品は、しかし、難解な作品でもあり、これまで多くの研究者や評論家たちによって論じられてきた。魂の救済とその不死性、愛の永遠性、死後の世界、記憶の創造性、心霊現象・交霊術・遠隔精神反応、人間中心主義的世界観の批判、万物照応的宇宙観、生命の無限変容としての輪廻転生、東西古代文明の共通性など、実に多様な要素が、多数の文献を参照しながら、主人公竜枝の独白の中に織り込まれている。
 冒頭に掲げた文は、それだけではちょっとわかりにくいかも知れない。「形容詞」という言葉がこの文の他の言葉と馴染まないように思われる。この点、Sylvie Regnault-Gatier の仏訳が理解の助けになる(ただ、この訳、他の箇所では、問題も少なくないのであるが)。当該の文は、 « âme, ne serait-il pas un attribut de l’énergie qui coule à travers toutes les créations du ciel et de la terre ? » と訳されている。「形容詞」に « attribut » (属性)という訳を当てている。つまり、魂は、天地万物を流れる力の一つの属性に過ぎないのではないか、と解釈している。妥当な解釈だと思う。
 ただ、attribut を「実体の本質を成す性質」という意味に取ってしまうと、誤解が生じる。なぜなら、「天地万物を流れる力」は、それ自体がつねに同一なままの実体ではなく、無限に変容する力だからである。それは前後の文脈から明らかだ。魂はその力の一つの性質を表現している、ということだと思う。
 本作は、川端康成自身の死生観がそこに表現されているだけではなく、もっと普遍的な死生観の問題が提起されていて、哲学的考察の対象としてもとても興味深い作品である。