内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

猫に戯れる哲学者、西田幾多郎

2019-06-13 19:22:46 | 哲学

 西田幾多郎の『続 思索と体験』に収録された「暖炉の側から」という随筆は、一と二に分かれています。初出は、どちらも "The Muse" という京大関係の英文学者が中心になって1925年10月に創刊された雑誌で、その第一〇巻第一号(1930年4月1日)と第一一巻第六号(1931年3月1日)にそれぞれ掲載されました。その二が執筆されたのは同年二月のことです。
 この年の十二月に西田は山田琴と再婚しますが、1925年に最初の妻寿美を、五年余りの病臥の生活の後に失って以後、再婚するまでの西田の家庭生活は、次男家に初孫誕生の慶事もあったにせよ、病身の三人の娘を抱えて、けっして明るいものではありませんでした。四女友子は1930年に結婚、六女梅子は1928年に東京女子大学に入学し上京、翌年在学のまま婚約しましたが、結核発病などのため、正式な結婚は三年後の1932年でした。1930年に友子が嫁いで、家に残ったのは、病弱で結婚を諦めざるを得なかった三女の静子のみとなりました。
 そのころ書かれたのがこの随筆です。その二の後半に飼っていた猫の死の話が出て来ます。「猫も死んでしまった」という一文から始まるこの一節は実にしみじみとした味わいがある名文だと思います。ご興味を持たれた方はどうぞお読みになってください。
 三女静子が遺した父の思い出の記(西田静子・上田彌生共著『わが父西田幾多郎』アテネ文庫4、弘文堂書房、1948年。現在は、岩波文庫『西田幾多郎歌集』に収録されています)を読むと、西田が大変な動物好きだったことがわかります。娘や孫たちをよく動物園に連れて行ったようです。猫も大好きだったようです。

 私の家にも何時も猫がいました。覚えているのに三毛子、カーテルムル(この名は父がホフマン作「猫の哲学者」から取ったもの)というのがいました。他に第一の次郎と第二の次郎というフランス猫、ベビちゃん事ペン公という青目のアンゴラ系の猫、黒兵衛という母親は黒に縞のあるペルシャ猫、父親は日本猫の混血がいました。父はこの黒猫にまた悪太郎などと愛称をつけて、とても可愛がっていました。無口な父は、私達とは一日中口を利かない日も珍しくなかったのですが、そんなときでも猫に戯れておりました。この猫と父との日常はほんとうにお伽噺の様に美しいものでした。青い目のペン公と悪太郎は、父の晩年七年も生きて父の死ぬ二、三年前相前後して死にました。

 その難解な哲学論文からは想像もつかない姿ですが、哲学の根本動機と動物愛とは西田の心の深いところで繋がっていると私は思います。