昨日の記事の内容に対して猫つながりということで、今日は、吉本隆明の『なぜ、猫とつきあうのか』のことをちょっと話題にします。
この本は、1987年から1993年にかけて行われたインタヴューをもとに構成されたものです。聞き手は二人で、編集者かと思われます。初版は 1995年にミッドナイト・プレスから刊行され、1998年に河出文庫として再刊行され、この河出文庫版を底本とした講談社学術文庫版が2016年に刊行されています。内容からして、どうしてこの本が講談社学術文庫として刊行されたのか、ちょっと不思議なのですが、その理由は詳らかにしません。
長女のハルノ宵子がイラストを描いていて、巻末の次女吉本ばななのエッセイ「吉本家の猫―解説にかえて」(河出文庫版に寄せてだと思われる)には、「さすがにうちの猫たちを的確に描いていて、今はもういない猫の生きている時の姿の懐かしさに涙が出た」とあります。
吉本隆明が無類の猫好きであることは以前から知っていましたが、それは単に猫たちを溺愛するというのとは違って、猫たちに対する深い愛情とともに、敬意のようなものも感じられます。「猫さん」とか「野良猫さん」とか、インタヴューの中でしばしば猫たちをさん付けで呼んでいます。
「猫の死、人間の死」と小見出しが付けられた節(おそらく編集者による)での、飼っていた猫たちの死の話の中で、何度か会ったことがあるような知人が死んだときの悲しさと、うちで飼っていた猫が死んだときの悲しさを比べて、後者の悲しみの方が切実だという実感から、「要するに、より親しい生き物の死の方が切実だっていうことです」と一旦は一般化しておきながら、その直後に、そういう自分の感じ方についてそれでいいのか問い返してもいます。
本書は、議論としては歯切れの悪いところが他にもあちこちあって、「この本の、なんとなく盛り上がらないというか、無理がある感じが、なんとも間が抜けていてよく、妙に味が出ていますね。作っている人たち全員(父を含む)の困った気持ちが伝わってくるようだ」という吉本ばななの評言は絶妙にそのあたりの感じを捉えています。
講談社学術文庫版に吉本ばななが寄せた短いエッセイ「その後の吉本隆明と猫」に、もうほとんど歩けなくなって家の中をほとんど這うように移動していた最晩年(確かNHKのドキュメンタリーでだったか、その姿を初めてテレビで見たときに衝撃を受けたのを覚えている)のある大晦日の場面が描かれています。
吉本ばななが夫と子どもと実家に着くと、玄関にものすごい「死」の匂いが立ちこめていた。ケージが置いてあり、「具合の悪い半野良ちゃん」が入っていた。その猫が間もなく息を引き取った。
父はその汚れて臭い亡骸のことを全くかまうことなく、すぐ近くの床にべたりと座って、ほんとうに優しく力をこめてその猫の頭をぐるぐると撫でながら「いい猫さんだった、いい猫さんだった」と言った。
それが私の父と猫との関係の全てだと思えた。
詩人・思想家として途方もなく大きな仕事を遺した吉本隆明のこのような最晩年の姿に私は深く心を動かされます。