内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「研究の現場における、あれやこれやの、てんやわんやの操作」― 林達夫「精神史 ― 一つの方法序説」を読み直す

2017-05-21 11:18:27 | 読游摘録

 二十歳前後という遠い昔の話で記憶も不確かになってしまいましたが、林達夫の名前と文章を知ったのは、丸谷才一『文章読本』の中でのことだったと思います。今その本が手元にないので、曖昧な記憶だけを頼りに言うのですが、丸谷才一は、同書の中で、林達夫の文章を激賞して、明度の高いレンズを通して対象を見ると肉眼で見るよりもよく見えるときのような、その文章を読むとこちらの頭がよくなったのかと錯覚するほど明晰・達意の文章だといういうような趣旨のことを書いていたのではなかったでしょうか。
 丸谷才一の評言に惹かれて、林達夫を読むようになり、まずは当時中公文庫で入手できた『共産主義的人間』『歴史の暮れ方』『思想の運命』『文芸復興』をすべて読み、久野収との対談『思想のドラマトゥルギー』(平凡社選書)に知的興奮を覚え、さらには平凡社から刊行された『林達夫著作集』(全六巻)も購入して、一時期繰り返し読んだものでした。しかし、それらの本は、フランス留学前に、つまり二十年以上前に、すべて古本屋に売り払い、今私の手元にある林達夫の本は、講談社学術文庫版『林達夫芸術論集』(高橋英夫編、2009年)の一冊のみです(同書の冒頭に収められた「思想の文学的形態」については、二〇一五年五月十六日の記事その翌日の記事とで拙ブログでも取り上げたことがあります)。
 さて、今日の記事で話題にしたいのは、林達夫の代表的大文章として言及されることが多い「精神史 ―一つの方法序説―」(初出は、『岩波哲学講座4 歴史の哲学』一九六九年)です。この文章を久しぶりに思い出したのは、昨日の記事で話題にした時枝誠記の『国語学への道』の「はしがき」を読んだときのことでした。他者に紹介するために整理された方法論ではなく、自分の学問の方法がが実行されている現場でのあれこれの作業を生き生きと語った文章として、林の文章を思い出したのです。
 以下、何箇所か「精神史」から摘録しておきたく思います。
 まずは、林がこの文章を書くきっかけの一つとなった「小事件」について語っているところです。その小事件とは、アンドレ・シャステルの「バロックと死」という論文のある一節に林が「寝耳に水のような衝撃を受けた」ことです。シャステルのその論文には、ルーヴル美術館所蔵のレオナルド・ダ・ヴィンチの『聖母アンナ母子像』に言及して、聖母アンナの両脚のあいだの赤褐色の小石にまじって、右足の親指近く、血が滲んだみたいな、奇妙な小さな切れっぱしとももつともつかぬものが散見されるが、これを詳細に観察すると、それは正しく血管がすいてみえる胎盤の切れっぱしと、切断された小さな胎児に該当するという指摘があります。

わたくしはこの十四ページに及ぶ論文の中のこのたったわずか六行ばかりの記述に寝耳に水のような衝撃を受けた。わたくしのこの画に対して抱きつづけてきたイメージがこれによって形無しにされたからである。わたくしは新規まき直しに、この画は一体何を語ろうとしているのかを考えてみないわけにはいかなかった。わたくしのこの小さな文章は、はからずもこの小事件が喚び起こした波紋の記録のようなものである。(『林達夫芸術論集』218頁)

 その記録はどんな文章になるのでしょうか。

わたくしの記すのは、人の書いた「精神史」と名のつく「歴史記述」の一つのジャンルというか、パターンというか、それについての省察なんかではない。その研究の現場における、あれやこれやの、てんやわんやの操作のことである。(同頁)

 したがって、この文章は、その操作が一通り済んだ後に事後的に整理された報告書とはまったく異なっていますし、いわゆる学術論文とも著しく異なっています。そのような文章になるのは、しかし、林達夫自身にとって、まさに学問における方法的要請なのです。この点、時枝誠記の『国語学への道』の「はしがき」に読むことができる学問の方法意識と重なるところがあると私は思うのです。

断るまでもないと思うが、わたくしはこの小文において整理し終わった考えを述べようとしているのではなく、いわば考えを整理の方へ近づける過程―そこでは脇道へそれたり、後戻りしたり、場合によれば前言取消しを余儀なくされたりすることが、むしろ常態なのだ―を、できるだけ忠実に語ろうとしているのである。だから、普通ならば n.g. にしてしまうようなところも敢えて残しておく。「方法」を語るには、それこそほかに方法はないと思うからだ。(224頁)

 最後に、この文章の結語に当たる段落を引いておきましょう。

わたくしがこの文章でやったことは、結果的にはまさにこのフランカステルのいう、現実的なものと想像的なもののレオナルド的弁証法の一つの局部的究明であり、それはまた魅力ある彼のあいまいなものと未完成なものとへの、追いつ追われつの一つの小さいが少しばかり緊張した追跡であったように思われる。そして最後に、もう一つだけ言わせて貰えば、わたくしの心には、その間、精神史はどんな立場のものであろうが、あたかも歴史がその一部門としての考古学を必要としているように、名前は如何様でもよいが、いわば「精神のアルケオロジー」の如きものを非常に必要としているという何か飢渇感のようなものが附き纏って離れなかったのである。その限りにおいて、これはわたくし流の、自らに対してもこれは言えることだが、一つの「学問のすすめ」になっているかもしれない。(263-264頁)













「自伝的研究法」あるいは方法序説としての学問的自叙伝 ― 時枝誠記『国語学への道』の「はしがき」から

2017-05-20 14:42:52 | 読游摘録

 時枝誠記の『国語学への道』は昭和三十二年に三省堂から刊行されました。私の手元にはその初版があります。今年の三月にネットの「日本の古本屋」で見つけて購入し、東京の家族から送ってもらって届いたのがつい三日前のことです。六十年前の本ですから、天や小口に茶色い斑点状の染みがいくらかあるのは仕方ありませんが、本文はきれいな良本です。届いてすぐにパラパラと頁をめくっていたら、「謹呈」と印刷され、その下におそらく時枝自身の直筆で「時枝誠記」と万年筆で署名された栞が挟まれていることに気づきました。本当に本人の直筆なのか確かめようがありませんが、ハネのないすっきりとバランスの取れた字体です。
 本書が昭和二十二年に同じく三省堂から刊行された『国語研究法』を改題・補訂したものであることが「はしがき」からわかります。当初の企画において出版社が時枝に期待していたのは、「国語研究の入門書に相応しい研究法」だったようです。「ところが、出来あがつたものは、いはゆる研究法とは、およそ、かけ離れた、私の学問的な自叙伝ともいふべきものになつてしまつた」と同じく「はしがき」にあります。国語学への研究法を書くのに、これ以外の方法が思い当たらなかったというのがその理由だとその直後に記されていますが、一人の学者の学問の形成を考える上で、とても示唆な一言だと私は思います。
 「はしがき」で目に止まった箇所をさらに二箇所ここに摘録しておきたく思います。

人が右の道を進んだからとて、私がその道を選ばなければならない強制は少しもない。ここに、私には、私なりの道が生まれて来たのである。私には、自分といふものを離れて、学問への普遍妥当の道といふもは考へられない。そこへ行くと、学問も一つの創作であるといふ感じがする。

学問が成立する根源は、何といっても学問を成立させる学者、則ち人間にあると知るに及んで、本書のやうなものも、存在する意味があるであらうと考へるやうになつた。

 本書には、その旧版である『国語研究法』のはしがきも収められています。そこからも最後の数行を引用します。

私は、他の学者の論文や著書を読んで、穏健中正な見解を得ることに、まことに不得手である。私は、私の云はうとすることを、他の学説におかまいなしに、単刀直入に披瀝することしか出来ない。下手な集大成によつて、読者をあやまるよりも、卒直に私自身についてのみ語る方が無難であると考へたのである。このやうな自伝的研究法の体裁をとつたからとて、私は、このやうな研究法を、世の研究者達に強ひようとする意志は毛頭ない。ただ、本書が、いはばよそゆきの私の既刊の著書に対する批判の足場となるならば、望外の幸と考へてゐるのである。













知は愛、愛は知である ― 西田幾多郎『善の研究』第四篇「宗教」第五章「知と愛」より

2017-05-19 16:40:13 | 読游摘録

 西田幾多郎『善の研究』の最終章「知と愛」は、第四篇「宗教」の中では最も早く独立に書かれた文章であり、もともとは清沢満之を中心とする信仰共同体であった浩々洞から刊行されていた雑誌『精神界』第七巻第八号(一九〇七年八月十日)に発表されています。しかし、『善の研究』の思想と「連絡を有すると思ふから此に附加することとした」という西田自身による一行の注記が同章の冒頭に置かれています。同章は全集版でわずか三頁ほどの短い文章です。その中から、昨日の記事で引用したエンリコ・マラトの『ダンテ』の前書きと内容的に特に共鳴する箇所を引いておきたく思います。

斯の如く知と愛とは同一の精神作用である。それで物を知るにはこれを愛せねばならず、物を愛するのはこれを知らねばならぬ。数学者は自己を棄てゝ数理を愛し数理其者と一致するが故に、能く数理を明にすることができるのである。美術家は能く自然を愛し、自然に一致し、自己を自然の中に没することに由りて甫めて自然の真を看破し得るのである。また一方より考えて見れば、我はわが友を知るが故にこれを愛するのである。境遇を同じうし思想趣味を同じうし、相理会するいよいよ深ければ深い程同情は益々濃かになる訳である。しかし愛は知の結果、知は愛の結果というように、この両作用を分けて考えては未だ愛と知の真相を得た者ではない。知は愛、愛は知である。















愛するための必要十分条件としての〈知ること〉― エンリコ・マラト『ダンテ』仏訳刊行に寄せて

2017-05-18 13:53:17 | 読游摘録

 私の好きなフランスの出版社の一つは老舗 Les Belles Lettres 社です。今年に入っても次々と良書を刊行してくれています。しかも、造本がしっかりしているのに、価格設定が良心的なんですよね。ただ、こちらとしては、あれもこれも欲しくなってしまって書籍購入費がどんどん嵩んでしまうのは困ったことなのですが。
 先日同社のメルマガが送信されてきて即注文し、一昨日入手した先月の新刊の一冊が、Enrico Malato, Dante です。著者は現在のダンテ研究の世界的権威の一人であり、本書は、著者の数十年に渡るダンテ研究の成果に基づいた、現代のダンテ研究の最高峰に位置する業績です。イタリア語原版の初版は1999年に刊行され、2009年に第三版改訂増補版が出ています。仏訳はもちろんこの最新版に拠った訳です。日本語訳はまだのようですね。
 本書は、全部で二十章からなっています。その前半第一章から第十二章までにおいて、まず、第一章でダンテが生まれた当時のフィレンツェの政治的・経済的・社会的・知的状況を簡潔に描出してから、知的伝記という体裁を取ってダンテの詩人としての形成過程を詳細に辿り、次いで、『神曲』に至るまでの文学的・文献学的諸問題を丁寧に検討しています。後半をなす八章のうち六章が『神曲』の精密な作品分析に割かれており、第十九章がダンテの散文とダンテにおけるラテン語についての考察に充てられ、最終章第二十章で時代の証人としてのダンテの偉大さと『神曲』の後世への影響と作品に込められたメッセージを読み解くことで本書は閉じられています。
 まだところどころ覗いただけですが、著者の己の学問研究に対する厳格さゆえのどこまでも謙虚な姿勢と、それゆえにこそ向けられる他の研究者たちの恣意的な断定に対する厳しい批判とに強烈な印象を受けています。
 初版の前書きの最後の段落の仏訳を引用します(p. 13)。

Les solutions qui nous ont à chaque fois permis de résoudre les divers problèmes abordés ne prétendent pas être la solution. Toutefois, ce sont des propositions réfléchies, fondées sur une étude assidue des textes — menée toujours avec l’aide du « conseil fidèle de la raisons » —, et nullement dictées par le désir narcissique de proposer une solution originale à tous prix. Si, grâce à la lecture de ces pages, les jeunes lecteurs peuvent acquérir une meilleure connaissance de Dante et de son œuvre, alors ce travail aura atteint son objectif, car je suis persuadé que connaître Dante est la condition nécessaire et suffisante pour l’aimer.

本書で取り組んだん様々な問題を解くことをその都度可能にしてくれた諸々の解決法は、それが唯一の解決法であるなどと主張することはありません。しかしながら、それらの解決法は熟慮された上での提案であり、長年継続されてきたテキスト研究に基いています。それは「理性の裏切ることなき助言」にいつも助けられながら続けられてきました。独創的な解決法を何が何でも提示したいという自己満足的欲求などにはいっさい引きずられていません。もしこれらの頁を読むことで若い読者たちがダンテとその作品についてよりよく知ることができれば、この仕事はその目的を達したことになります。なぜなら、ダンテを知ることがダンテを愛するための必要十分条件である、そう私は確信しているからです。













皇祖神の誕生、あるいは太陽女神による自己鏡像の誤認 ― 福田拓也『「日本」の起源』に寄せて

2017-05-17 23:59:59 | 読游摘録

 昨日午前中、大学に会議のために出向いたとき、自分用の郵便受けに日本から送られてきた本が一冊入っていました。詩人の福田拓也氏がご恵送してくださったご自身の最新刊『「日本」の起源』(水声社)でした。氏とは二〇一五年三月のCEEJAとストラスブール大学とで三日間に渡って開催されたシンポジウム「間(ま)と間(あいだ)―日本の文化・思想の可能性」でご一緒したのが知り合うきっかけでした。昨年初めにも何冊かご著書を送ってくださり、その時点での最新刊『小林秀雄 骨と死骸の歌 ―ボードレールの詩を巡って』(水声社)については拙ブログでも一度取り上げことがあります(こちらがその記事)。
 今回のご著書は、「あとがき」を読むと、上記のシンポジウムでの訓読と『万葉集』の表記についてのご発表がきっかけになって書かれたという。
 帯には、「『古事記』の「天の岩屋戸神話」と山上憶良の「日本挽歌」着目しながら、日本の起源ともいえるアマテラスの誕生の謎をたどる。古来から連綿と息づき、いまも日本人の深層意識に眠る「日本」という複合的システムの在り処を探った画期的な日本論」とあります。
 本書は、大きく二部に分かれ、前半が「アマテラスの誕生」、後半が「古代言語論」と題され、前者は、「天の岩屋戸神話と太陽女神」「太陽女神ヒルメによる鏡像の誤認」「天皇制の起源―鏡・物語・ヒルメの身体の消去」の三節からなり、後者は、「訓読―漢語と倭語の消滅と原=日本語の誕生」「万葉仮名と起源的暴力の隠蔽」「隠喩―「妹」の死と事物の出現」「日本語の誕生と「日本」の起源」の四節からなっています。
 全体が詩人の直観に貫かれた大変刺激的な論攷になっています。著者ご自身が言うように、皇祖神としての天照大神の誕生に、天の岩屋戸に引き籠もった太陽女神「ヒルメによる自身の鏡像の誤認」が決定的なファクターになっているという指摘は極めて魅力的だと私も思います。本書の論述の中には『古事記』の本文によって必ずしも支持され得ない断定も散見されますが、詩的直観に支えられた洞察が随所に見られて、読み進めながらこちらの思考が活性化される愉悦を味わうことができています。












一つの些細な現象から研究を出発させる ― スタロバンスキー『作用と反作用』のエピグラフ

2017-05-16 16:54:19 | 読游摘録

 スタロバンスキーには Action et réaction. Vie et aventures d’un couple, Édition du Seuil, 1999 という著作があり、これには邦訳(『作用と反作用―ある概念の生涯と冒険』、井田尚訳、法政大学出版局、「叢書・ウニベルシタス」、2004年)があります。同出版局のサイトの内容紹介は以下の通り。

科学史・文学史・哲学史の流れの中で,作用と反作用という一対の概念が辿った道のりをパノラマ的な視野で捉え,近代ヨーロッパの壮大な「知の歴史」を映し出す。

 この紹介からもわかることですが、〈作用-反作用〉という対概念の思想史的研究です。原書の副題には « un couple » とあります。作用と反作用との「つがい」性が様々な問題領域を通じて考察されているからです。
 しかし、概念の定義の変遷と多様性を抽象的に、それこそ概念的に記述しただけの通史とは異なり、〈作用と反作用〉という「カップル」が実際に登場するテキストが多数引用され、それぞれの場面に即して精細な分析が展開されていきます。スタロバンスキーならではの実に内容豊富な研究です。
 本書の冒頭には、エピグラフとして、『ミメーシス』で有名な文献学者・文芸批評家エーリヒ・アウエルバッハの書簡の一節が引用されています。その書簡は、後注によると、Briefe an Martin Hellweg (1929-1950) からの引用だとわかるのですが、この宛先人が誰なのかは私はまったく知りません(邦訳には訳者注としてちょっと説明があるかもしれません)。引用されている書簡は1939年5月22日にイスタンブールから発送されています。ユダヤ人だったアウエルバッハがナチスの迫害を逃れ、イスタンブールのトルコ国立大学のロマンス語教授だった時期に書かれたものでしょう。引用部分の内容からして、若き研究者であろう宛先人への研究方法についての助言としてこの書簡は書かれたのではないかと推測されます。

もしあなたが、研究の技法として、一般的な問題から出発するのではなく、例えば、一語の歴史とか、ある一節の解釈とか、適切かつ堅固なし方で選択されたある一つの些細な現象から出発するのならば、私は大いに喜ぶことでしょう。そのようにして選ばれる些細な現象が小さすぎることも具体的過ぎることもありえません(どんなに小さくてもどんなに具体的でもいいのです)。それは決して私たち或いは他の学者たちによって導入された何らかの概念であってはなりません。そうではなく、対象自身が(自ずと)示してくれる何ものかでなくてはなりません。

 このアウエルバッハの書簡の一節がスタロバンスキー自身の研究方法の要約にもなっているからこそ、エピグラフとして本書の冒頭に置かれているのでしょう。
 私もまた、その情けない浅学菲才はどうにも致し方ないとしても、このアウエルバッハの言葉を深く心に刻んで、残された時間の中、研究していきたいと思っています。












科学の敵は、懐疑ではなく、ドグマである ― E・カッシーラー『啓蒙主義の哲学』より

2017-05-15 16:07:20 | 読游摘録

 昨日の記事でスタロバンスキーに事寄せて「啓蒙の哲学」に若干言及しました。ヨーロッパ十八世紀の啓蒙主義については、邦語文献も多数あり、啓蒙主義についての欧米の研究書・概説書・入門書等の邦訳も少なからずあるようですね。その中で古典的名著として夙に知られているのがエルンスト・カッシーラーの『啓蒙主義の哲学』(1932年)です。中野好之による邦訳(ちくま学芸文庫、2003年、上下二巻、1997年に一巻本として刊行されたの単行本の全面的改訳)があります。私は同訳を持っていないし見たこともありませんが、信頼できる訳のようですね。自分の手元にあるのは、1966年刊行の仏訳 La philosophie des lumières (Fayard)。
 本書の第四章「宗教の理念」第二節「寛容の理念と「自然宗教」の基礎づけ」の冒頭に、昨日の記事で引用したスタロバンスキーの見解に呼応するような科学の自律性に関する記述を読むことができます。以下に仏訳からその内容を摘録します。
 真理の探究において私たちが出会う最も重大な障害は、私たちの知の不十分さではない。そのときそとき私たちがその中で考えている知の限界は、その限界に私たちが自覚的である限り、何ら危険なものではない。科学は自分が陥っていた誤りを己自身の進歩によって己自身から正すことができる。科学が私たちを巻き込むこともある誤りは、私たちが科学にそれ自身の展開を委ねるやいなや、自ずと排除されていく。
 そのような誤りよりもはるかに重大なのは、知の不十分さから生れるのではなく、誤った探究方針によってもたらされる逸脱である。最も恐れるべきなのは、不足ではなくて、倒錯である。この倒錯とは、科学の本当の基準を転倒させ歪曲することである。そのような倒錯は、私たちが到達すべき目標を予見できていると思い込むやいなや発生する。
 科学の敵は、懐疑でなく、教条(ドグマ)である。教条は、ただの単純な無知ではなく、自らを真理と見なす無知、自らを真理として強制してくる無知である。私たちの知の働きを本当に脅かすのは、このような真理の仮面を被った硬直した教条の危険なのである。
 なぜなら、その場合、もはやそれは単なる誤りではなく、欺瞞であり、うっかり犯した思い違いではなく、精神が自らの過ちゆえに陥ったごまかしであり、一旦そうなると、精神はそのごまかしの深みに自らはまり込んでいくばかりだからである。
 自らの無知を恥じることもなく、一方的に己の主張を相手に押し付け、その相手に対しては自分に都合のいいように「忖度」してくれるよう要求するような人間が宰相であるような国は、この意味で、きわめて危険な国家であると言わざるを得ないのではないでしょうか。













相互信頼という倫理にどこまでも支えられた科学者の自律的共同体

2017-05-14 23:59:59 | 読游摘録

 スタロバンスキーとジェラール・マセの対談 La parole est moitié à celuy qui parle... には、スタロバンスキー自身が医学者でもあったことから、医学への言及がしばしば見られるのですが、その中には科学に信を置く積極的な意味での「啓蒙の哲学」を読み取ることができます。その科学への信の根拠は、しかし、科学こそが真理を明らかにするからというところにはないのです。

Or aujourd’hui encore, dans une médecine très avancée, notre connaissance des faits repose sur la confiance que nous faisons à des travaux sérieux, accomplis par des gens qui ont respecté cette éthique de la recherche qui est la précision dans le relevé des faits, la loyauté dans l’exposé des résultats. Nos certitudes sont produites par la communauté des chercheurs. Et les membres de cette même communauté peuvent à tout moment les remettre en question (p. 16).

 医学が進歩しうるのは、事実の記録における忠実と研究結果の共有における正直・誠実という研究倫理をどこまでも遵守する研究者たちの相互信頼に支えられた共同体があってのことであり、この共同体が共有している確実性はその同じ共同体内においてそのメンバーよっていつでも再検討されうるものなのだとスタロバンスキーは言うのです。
 これは医学に限らず、科学一般について適用できる原則ではないでしょうか。そうだとすれば、ここから導かれる論理的帰結の一つは、科学の健全な進歩は、その成果の経済的・政治的利権からの独立性をその条件とする、ということになります。しかし、この条件を現代世界で遵守することはほぼ不可能なように見えます。
 相互信頼という倫理にどこまでも支えられた科学者の自律的共同体、それはそもそもユートピアなのでしょうか。今日、「啓蒙の哲学」はもはや過去の哲学だと一笑に付されてしまうことが多いのも、その楽天性が現実の問題解決にとって無力だからでしょう。
 しかし、理性に基づいた揺るぎない相互信頼と徹底して自由な共同作業に換わる新しい学問の原則を今日の私たちが見出しているわけでもないことも認めざるを得ないのではないでしょうか。













他なるものへの共感力のエクササイズとしての歴史学習

2017-05-13 22:52:06 | 講義の余白から

 今日は一日、火曜日に行った日本古代史の試験の答案の採点をしていました。実は昨日もバカロレアの口頭試問の合間の昼休み中、試験会場の教室で採点していました。でも、採点まだ終わっていません。答案あと六枚残っています。それらは明日の午前中に採点します。
 答案は全部で三十六枚だけですし、小論文はA4一枚に収めることを絶対条件としたので、量的には大したことないのです。問題の出し方によっては、半日で採点することも可能な分量です。でも、一枚一枚の答案を少なくとも三回は読み直し、点数を付ける前にそれぞれの答案に講評を書いているのでどうしても時間がかかるのです。この講評は点数と同時に大学のサイトで履修学生たち全員に公開します。
 こうするのには私なりに理由があります。5月2日の記事でこの講義の試験問題を話題にしたときに述べたように、試験一週間前に学生たちに問題を公表しました。答案作成の準備のための時間をたっぷりとあげるためです。与えられた問題にじっくりと取り組んでほしかったからです。うれしいことに、ほとんどの学生が私の意図を理解してくれて、こちらの期待に十二分に応える力作答案を書いてくれました。それもいくらかは楽しみながらやってくれたんだなとわかる内容でした。そのことを伝えるためにすべての答案の講評を公開します。
 A4一枚を厳守させたので、それこそ米粒のように小さい字でびっしり書いている学生が多くて、答案提出時に「先生、こんな小さな字でごめんなさい」と謝る学生もいたのですが、それに対しては、「いいよ、いいよ、望むところだから、気にしないで。こっちも頑張って読むからね」と答えました。ただ、正直に言うと、実際にはかなり読むのに難儀しました。
 でも、いいんです、これで。なぜなら、己の知力と想像力とを駆使して、歴史の中の二重に遠い時代に身を置いて、そこで自分がどの観点から物を言っているのか、その観点によって物の見方がどれほど変わってしまうものなのか、ということを考えながら答案を書いてほしいというこちらのメッセージは確実に伝わったことが答案を読みながら確信できているからです。
 どの時代どの国に生きていようとも、信じていることによってその人の世界像は規定され、その世界像の中で喜び、愛し、悲しみ、憎む。そのことの人類的な普遍性を歴史の個別的・具体的な細部への注意と共感力を高めつつ忘れずに生きること、それが歴史を学ぶことの意味の少なくとも一つではないだろうか、そう私は学生たちに伝えたいのです。











今年度バカロレア日本語口頭試問第二日目 ― 世界に羽ばたけ日仏ハーフたち

2017-05-12 21:45:28 | 雑感

 今日はバカロレア日本語口頭試問二日目。無事にすべての試問を終え、成績を入力し、三時間程前にコルマールから帰宅しました。これで今年度の学外任務はすべて終了です(来年度はもう引き受けませんよ)。
 今晩は、自分へのご褒美として、いつもよりちょっと高いワインを飲みながらこの記事を書いています。
 今日の午前中は、登録者が八人のところ、二名欠席。午後は昨日と同じく九名の受験者。それら全部で一五名の受験者のうち五名が、父親か母親のどちらかが日本人であるハーフで、ほぼ完璧なバイリンガル。今日はその子たちについてお話しますね。
 まず、こういう場合、口頭試問する意味、ほとんどないんです。だって、みんな評価基準を遙かに超える高いレベルの日本語で流暢に話しますからね。一応形式を守って日本語でのプレゼンをさせますけれど、その後は試験官である私の一存で「もうあなたのレベルはわかったから、あとは自由に話そう」と、楽しい「お喋り」に切り替えます。
 そうすると、彼ら彼女らもすっかり緊張が解けて、いろいろとこっちが聞いてもいなことまで話してくれるんですよ。それを聴くのがとても楽しい。主に将来何をしたいかという本人たちにとって最も重要な話題を振るのですが、皆それぞれに異なった将来の夢を描いていて、それが本当に面白い。
 科学技術の進歩の功罪と人間精神の進歩への期待について日本語として完璧で内容的にも大学生レベルのプレゼンをしてくれたのに、質問に答える段になると途端に恥ずかしがり屋に戻ってしまった女の子。幕末から明治の文明開化について自分がこれまで勉強したことをこちらの眼をしっかり見ながら堂々たる態度で発表してくれた後、フリートークでは、こちらが聞いてもいないのにデリケートな家庭事情まで話してくれた男の子。フランスに生まれ育ったのに、大学は絶対英米の大学に行って将来は金持ちになるんだ、フランスの大学に行くくらいなら死んだほうがましだ、とユーモアたっぷりにその決意を話してくれた男の子。いじめの問題について見事なプレゼンをしてくれて、何よりも大切なのは悩みを独りで抱えずに誰かにそれを打ち明けること、自分も実はそのために自分のフランスの高校のクラスで学級委員として先生といじめられている生徒といじめている生徒との間に立って問題解決のために動いたことを熱を込めて話してくれた女の子(彼女はもうカナダの大学への進学が決まっている)。アルペンスキーでフランス人としてオリンピックを目指していたけどそれは自分には無理とわかって、今は世界をまたにかけるマネージメント会社を将来立ち上げるためにカナダの大学に進学したいと思っているイチローに憧れている男の子。
 彼ら彼女たちの話を聴いていると、本当に心から応援したくなるのです。もちろん、それはすべての受験者に対して思っていることではあるのですが、別にナショナリストじゃないけれど、日本人の「血」が流れている彼らには、やはりより親しいものを自ずと感じてしまうのは事実です。
 他方、今日、ストラスブールへの帰りの電車をコルマール駅のホームで待っていたら、昨日口頭試問を受けた地元高校のフランス人の女子生徒三人が日本語で「先生、こんにちは」と話しかけて来ました。「あれ、これからストラスブールに行くの?」と聞いたら、「いいえ、これから家に帰るところです」と笑いながら反対側のホームを指差して、楽しそうに三人でお喋りしながら階段を降りていきました。
 帰りの電車の中、青く晴れ渡った空の下のアルザスの風景を眺めながら、こうして気持ちよく一仕事終えられたことに小さな充足感を覚えることができた一日でした。