赤い太陽にキッス! 

旅日記、旬の花をパチリ!
ランチあちこち、スウィーツ大好きも書きます。
そうそう、 朝一番の太陽にキッスも・・・

5.大里昔の路 ふるさと村

2014年06月04日 17時38分07秒 | デジカメ旅日記
5.大里昔の路 ふるさと村

ふるさと村には、
歴史ある個人所有の住居を町が購入して、移築保存されていました。

中には演打することが出来る八丈太鼓が置かれていた。


この民家は、
母屋、


高倉、


馬屋、閑所、風呂



など八丈島の古い民家の佇まいを残している
貴重な建物だそうだ。
いかにも南国っぽい高倉は、
南西諸島以南以外では八丈島だけにしかないと言われているそうです。


4. 不思議な景観 陣屋跡の玉石垣

2014年06月04日 10時52分57秒 | デジカメ旅日記


大里集落には玉石の石垣が多い。

旧家や財力のある人たちが多く住んでいたようで、
玉石垣で囲んだ大きな屋敷が固まったいる。


この玉石は海岸から、一個の石を流人がおむすび一個で運んだという話が残っているそうだ。
見たところ持てる重さではあるが、ここまで運ぶには強靭な体力を必要としたはずですね。


3.八丈島歴史民族博物館へ

2014年06月04日 04時54分08秒 | デジカメ旅日記
3.八丈島歴史民族博物館へ

空港で出迎ええてくれた八丈島町営観光バスは品川200 12-68
え~と辺りを見渡したら、
乗用車も軽自動車もすべて、品川ナンバーです。


あ~ そうだ!
此処は東京都なんだ。


最初の見学は八丈島の歴史と生活用具や農耕具、漁具、機織など展示されていたが、


愛知県の事にも非常に詳しい館長さんが、流人文化の話を細かく説明してくれた。
八丈島には1800人以上の人が流されてきたそうだが、その最初が関ヶ原で敗れた側の
宇喜多秀家とその子供2人と付き人ら13人だったそうだ。


宇喜多氏は赦免されることなくこの地で亡くなった。
他の流人たちの技と頭脳は島の生活に多大の恩恵をもたらしたようだ。

それにしても館長さんは愛知県の事を良く知っていたので、
館長さん愛知県庁にお勤めでしたか?
違います! 
研究しています!
と仰っていましたが・・・