名古屋瑞穂区にある菩提寺で、お盆の施餓鬼会があったのでお参りをしてきた。
熱心な仏教徒ではないが、小さい頃から母に連れられて行っていたので、お盆の行事は欠かさず続けてきた。
当時は、読経をかき消すようなせみ時雨と、正座して長いお経の終わるのをひたすら待っていたことを思い出す。
エアコンの無い時代の本堂の暑さは格別で、人いきれと線香の煙でむせ返るようだった。
帰りの道すがら、カキ氷を食べさせてもらう事で、この苦行が帳消しになったことも思い出の一つだ。
今はエアコンの効いた部屋は涼しく、窓を閉じられた部屋に蝉の大合唱も聞こえてこない。
椅子席も用意されて、お年寄りの姿ばかりが目立って、若い家族は少なくなった。
法要が終わった後は、卒塔婆をいただき、戦死して遺骨すら戻らなかった父も入っている先祖の墓に、お供えと花を飾ってお寺を後にした。
以前は「お施餓鬼」と言っていたが、いつの頃からか曹洞宗では施食会(せじきえ)と呼ばれるようになり、案内状もそう記されている。
もともと仏教では、祖先の精霊を供養すると同時に、餓鬼道に落ちて飢え苦しみ続ける多くの霊にも、食べ物を施す施食供養をしていた。
そのため、伝統を守って施餓鬼会とか、お施餓鬼としているところもあるが、自分の先祖も餓鬼かと早とちりする人もいたことから、名称を改めたとのことだ。
仏教界も末節で折り合いながら、伝統を守り続ける工夫をしているが、核家族化や少子化の勢いはとどまらず、今は辛くも古い世代に支えられている。
午後は、栄の美術館で開催中の「二元展」を見てきた。
高校の同級生が出展していたが、本人は足を怪我して会場へは来られないとのことだった。
画題が「手術室幻想」と付けられていたが、何だか、まな板の上の鯉といった印象を受けた。
大作なので、怪我の治療中には描けないだろうし、まさか手術を暗示しているとも思えないので、何とも気になる絵ではあった。