山雑誌「岳人」の1月号特集記事にニッポン開山物語が載っていた。
江戸時代の初期に笠ガ岳を開山したと言われる円空や、その跡を辿るかのように諸国を回り、笠ヶ岳を再興し槍ヶ岳を開山した播隆の記事が面白かった。
飛騨にいた頃、円空や播隆に興味を持って、ゆかりの寺社を巡り、各地の山や廃れた峠、古道などを訪ね歩いた。
飛騨三十三観音巡りをしていた折に、150年の隔たりがある円空と播隆の間に接点があることを、それとなく感じた。
↑ 笠ヶ岳鏡池から見た槍ヶ岳
播隆が笠ヶ岳に登った時に山頂で阿弥陀如来(ブロッケン現象)を見て、その後方に聳える槍ヶ岳の開山を誓ったと言われている。
↑ 槍ヶ岳頂上
ある年の晩秋に笠ヶ岳に登り、ブロッケンを見たことや、槍ヶ岳山荘で出会った人たちで、播隆を知る人が居なかった事などを思い出す。
↑ 二十五山
↑ 鉱山街廃墟
飛騨神岡の二十五山には、円空の阿弥陀二十五菩薩像が安置されていたと言われ登ってみたが、山頂は鉱石採掘のため削り取られて見る影も無かった。
↑ 光圓寺
麓の鉱山の施設や住宅街は廃墟と化し、光圓寺は無住で二十五菩薩像の所在も判らなかった。
久しぶりに購読した岳人で、昔の思い出が次々と甦ってきた。