広小路通りから長者町通りを北に向かい、錦通りと桜通りを渡って那古野神社あたりを歩いてきた。
↑那古野神社
繊維や薬問屋など、商家が軒を連ねていたが、道路も広くなり当時の面影は残っていない。
町名もすべて丸の内、錦、栄に変更され、町の文化も商いも消えてしまった。
中学の学区だったので友達がたくさんいたが、今も住み続けている人は数えるほどしかいない。
問屋の衰退とそれに伴う再開発で、この町に住み続けるのが難しくなってきたようだ。
そんな街の一角で仕事をしている友人を訪ねてきた。
弱った足をサポートする研究所で、下肢のトラブルの予防と改善を提案し、それを矯正する靴やインソールを勧めてくれる。
70年以上も使い込んだ足に、何かと欠陥が生じ、躓いたり挫いたりすることが増えた。
1時間ほどのコンサルティングで、転ばぬ先の杖ではないが、セラピーシューズの力を借りて、もう少し元気に歩こうという気持ちになった。
これでまた歩く楽しみが増えそう。