2011年5月イングランド南部をめぐる《手造の旅》+2005年3月
英国国教会のトップはロンドンではなくカンタベリーにある↓
1170年に大司教のトマス・ベケットが国王からの刺客に暗殺される事件が起きてから、この地は巡礼がやってくるようになった。
巡礼たちが各地の物語を語り合う形式で14世紀に書かれたのが「カンタベリー物語」。
↓大司教ベケットが祈っている最中に、四人の騎士がこの場所で襲撃したとされている↓それを暗示する剣の形をした表示(堂内2005年3月に訪れた時の撮影)このモニュメントは現代になってから付け加えられたもの
大聖堂の中で祈っている最中に暗殺されたというのは衝撃的な出来事だったのだ↓
↓下は15世紀はじめにヘンリー四世の墓の飾りとして描かれた聖トマス・ベケットの暗殺シーン↓
↓「ここにベケットの廟が1220年から1538年まであった。ヘンリー八世が破壊するまで」と書かれている↓
ヘンリー八世によってカトリックから英国国教会に変えられた時に修道院の多くは破壊され、巡礼という制度も止めさせようとしていたのだ。
しかし、人々の祈りは止められなかった。↑今でも一本のろうそくが灯されて続けている
今、見ている大聖堂はトマス・ベケットの時代12世紀末には基本的なかたちができていたのか
↓このステンドグラスは13世紀につくられてその後壊された断片をもとに復元されてはめこまれている↓
大聖堂の中での見所、もうひとつはブラック・プリンスの墓
ベケットから百五十年ほど後の英仏戦争時代に活躍したエドワード三世の息子。
勇敢で有能だったとされているが父より早くに病死したので王にはなっていない。
※その息子のリチャード二世が後嗣となった
イギリスの紋章史のはじめにでてくるブラック・プリンス
彼の息子リチャード二世は、いとこであるヘンリー四世(前出の暗殺シーンのパネルの墓の主)に敗れて獄死した。
大聖堂は基本的にゴシック様式だが↓
↓ところどころにロマネスク的な装飾がみられる
↓大聖堂にはかつて修道院が付設されていたがその名残の塀かしらん
↓この門の近くに
↓「クリストファー・マーロウがここで子供の頃に教育をうけた」と書かれた記念メダルがはめこまれていた。
貧しい靴屋の息子だったが才能が目に留まり、教会がサポートしてケンブリッジ大に学んだ。
マーロウはシェークスピアと同年生まれとされる。
映画「恋に落ちたシェークスピア」の中でシェークスピアと間違われて殺されてしまうシーンがあったっけ。
**
カンタベリー大聖堂敷地への入口門として16世紀に建てられた門↓
中央、ブロンズのキリストは現代のものに取り換えられた↓
旧市街には何百年モノ?と思わせる古い家がたくさんあるが
なかでもこの傾いた家にはびっくりさせられる↓
入口には「1647年キングス・スクールの店だった」と書かれているが
考古学的調査によると1617年に建造されたモノとされている。
↓これはほんとに中世の城壁の一部たったのではないかしらん
英国国教会のトップはロンドンではなくカンタベリーにある↓
1170年に大司教のトマス・ベケットが国王からの刺客に暗殺される事件が起きてから、この地は巡礼がやってくるようになった。
巡礼たちが各地の物語を語り合う形式で14世紀に書かれたのが「カンタベリー物語」。
↓大司教ベケットが祈っている最中に、四人の騎士がこの場所で襲撃したとされている↓それを暗示する剣の形をした表示(堂内2005年3月に訪れた時の撮影)このモニュメントは現代になってから付け加えられたもの
大聖堂の中で祈っている最中に暗殺されたというのは衝撃的な出来事だったのだ↓
↓下は15世紀はじめにヘンリー四世の墓の飾りとして描かれた聖トマス・ベケットの暗殺シーン↓
↓「ここにベケットの廟が1220年から1538年まであった。ヘンリー八世が破壊するまで」と書かれている↓
ヘンリー八世によってカトリックから英国国教会に変えられた時に修道院の多くは破壊され、巡礼という制度も止めさせようとしていたのだ。
しかし、人々の祈りは止められなかった。↑今でも一本のろうそくが灯されて続けている
今、見ている大聖堂はトマス・ベケットの時代12世紀末には基本的なかたちができていたのか
↓このステンドグラスは13世紀につくられてその後壊された断片をもとに復元されてはめこまれている↓
大聖堂の中での見所、もうひとつはブラック・プリンスの墓
ベケットから百五十年ほど後の英仏戦争時代に活躍したエドワード三世の息子。
勇敢で有能だったとされているが父より早くに病死したので王にはなっていない。
※その息子のリチャード二世が後嗣となった
イギリスの紋章史のはじめにでてくるブラック・プリンス
彼の息子リチャード二世は、いとこであるヘンリー四世(前出の暗殺シーンのパネルの墓の主)に敗れて獄死した。
大聖堂は基本的にゴシック様式だが↓
↓ところどころにロマネスク的な装飾がみられる
↓大聖堂にはかつて修道院が付設されていたがその名残の塀かしらん
↓この門の近くに
↓「クリストファー・マーロウがここで子供の頃に教育をうけた」と書かれた記念メダルがはめこまれていた。
貧しい靴屋の息子だったが才能が目に留まり、教会がサポートしてケンブリッジ大に学んだ。
マーロウはシェークスピアと同年生まれとされる。
映画「恋に落ちたシェークスピア」の中でシェークスピアと間違われて殺されてしまうシーンがあったっけ。
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カンタベリー大聖堂敷地への入口門として16世紀に建てられた門↓
中央、ブロンズのキリストは現代のものに取り換えられた↓
旧市街には何百年モノ?と思わせる古い家がたくさんあるが
なかでもこの傾いた家にはびっくりさせられる↓
入口には「1647年キングス・スクールの店だった」と書かれているが
考古学的調査によると1617年に建造されたモノとされている。
↓これはほんとに中世の城壁の一部たったのではないかしらん