旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ミケーネ

2020-04-27 18:00:17 | ギリシャ
1999、2002年ギリシャ旅より
二匹のライオンが柱を挟んで遠吠えをしているようなデザイン↓の城門

1999年撮影
小高い丘を石垣でぐるりと囲ったミケーネの王城?への入口だったと考えられている。

ライオンの門を裏からみると↓

分厚い石の門には木製の扉がはめこまれていたのだろう

↓このゆるい坂をあがったところがライオンゲートがある場所

シュリーマンがいちから発見したトロイ遺跡と違い、ミケーネの古代都市がここに存在することは西暦1700年には分かっていた。
紀元後二世紀・ローマ帝国時代のギリシャ人パウサニウスが言及していた冒頭のライオンの門が発見されたのである。

この門をくぐるとすぐ右手に↓

直径三十メートル以上になる円形墳墓がみつかった↑
門以外の本格的発掘はシュリーマンが行った↓

ここから発見された黄金のマスクはアテネ考古学博物館に展示されている↓

これを見つけたシュリーマンはすぐに「アガメムノンのマスク」と名付けてしまったが、
現在の研究では、トロイ戦争があったBC13世紀よりも二百年近く古いものだとされている。
※アガメムノンはトロイ戦争のギリシャ側総大将で、帰国後に妻とその愛人に浴室で暗殺された。
と、神話で語られている人物。

他のマスクも出てきているが、名前など一切わかっていない。

ミケーネは黄金の文明と呼ばれる。
クレタ島のクノッソス宮殿と同時代、同じように牛を崇拝していたと推察され、牛をモチーフにしたモノがたくさんみつかっている。
牛についての発掘品でもっとも興味深いのがこの黄金のカップ(ミケーネと同じペロポネソス半島の南部ヴァフィオにて発掘)↓

↑よく見ると牛が二頭重なって画かれている。後ろの牛がメスで手前がオス。
これが何を表したシーンなのか?考古学者たちは分からなかったが、牛飼いがすぐにピンっときた。
「これはメスを囮にしてオスを捕まえているところだよ」
その証拠に、メスの牛が発情して尻尾を上げているのを、オスの背中越しに尻尾だけ見えるように画かれている。
牛飼いは一目でそれがわかった。
**

ライオンの門の他にもいくつかの入口がある



丘の上の街は、水をどう確保するかがいつも課題。

ライオンの門とは逆の目立たない城壁際に地下へ降りる秘密の階段があり、その奥深くで今も水が湧き出していた。

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一キロも離れていない場所に人工の円筒形石組みに土を盛った遺跡がある↓

ミケーネ文明は「巨人が積んだ」といわれるほど巨石を組み積んでいる。

↑巨石を円錐形に組み上げた墳墓は、シュリーマンによって「アトレウスの宝庫」と名付けられ、その名前で呼ばれ続けている。アトレウスはアガメムノンの父だが、この場所が何だったのかまったくわかっていない。
↓内部もきっちり頑丈に組み上げられている

こちらはシュリーマンがやってくる以前からその存在は認識されていた。
内部で火を焚いていた跡がしっかりわかる。
ここは土に埋もれていたわけではなく、地元に住む人々や羊飼いが住んでいたのだろう。
土の中から見つかる遺跡よりも、こういう場所の方が実際に何だったのか解明するのは難しいものだ。
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クレタ島のクノッソス宮殿

2020-04-27 06:07:00 | ギリシャ
2004,2007,2011年《手造の旅》ギリシャより。
クレタ島は地中海で五番目の大きさ(シチリア、サルデーニャ、キプロス、コルシカに次ぐ)現代ギリシャではいちばん大きな島。広島県ほどの面積。

イラクリオン港にヴェネチア領時代の城壁が見える。

1669年にオスマントルコに征服されるまで、ヴェネチアの地中海の要だった。

ヴェネチアのシンボル=聖マルコのライオン(羽の生えたライオン)↑は復元の際にはめこみなおしたのだろうけれど。
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クルーズ船停泊中に観光客が訪れるのは五キロほど離れたところに位置するクノッソス宮殿の遺跡。

ギリシャ神話でミノス王が住み頭が牛の怪物ミノタウロスを閉じ込めた迷宮があったとされていた。
神話の中の宮殿が発掘されたのは1900年。イギリス人富豪研究者エヴァンスによる。

すぐ近くに住み、生涯をかけた発掘だった。
私費で発掘を進めたので自分の思うような発掘・復元が可能だった。
クレタ島内の他の遺跡に行ってもこんなに建物が復元されていない。
「復元しすぎ」という批判はあるが、
紀元前14世紀の遺跡が我々素人にもおもしろく理解できるのは、エヴァンスが強引に復元を進めた「成果」なのである。

たとえば、有名なイルカの絵は↓現場ではこんな風に展示されているが

博物館に展示されているのはこれだけ↓発掘された本物のフレスコ画部分は下のイルカの前ひれの部分などごくごく一部でしかない。

このわずかな破片から全体を想像して描いた「想像図」を現場に復元して見せている。
現場の絵で下の方に画かれている黒いウニは完全に想像だったのか!
たしかに…復元しすぎかもしれない?

クノッソス宮殿最上階の玉座の間↓

床石はホンモノだが、フレスコ画は復元。
実際に本物がかなりの部分残っていたフレスコ画もある。
そういったもっとも美しく貴重なものは
↓アテネ考古学博物館にまるまる運ばれて展示されている↓

ツバメですね

紀元前14世紀ごろにもこれだけのデザイン感覚があったのか。
発掘現場の近くの博物館にて展示する方がより良いのだが、
アテネにあることでより多くの人に見てもらえるし、保護の観点からもアテネの方が安全なのだろう。

掘り出された宮殿には屋根など残っていなかったし、木材はぜんぶ朽ちていた。
よくここまで立体的に復元できたものだ↓

↑紀元前14世紀の神殿下の階まで光を届かせるための構造で「光の井戸」と呼ばれている。
柱が赤く特徴的なカタチをしているが、もともとこのかたちだったと分かったのはなぜか?
↓当時の人々が模型をつくっていたいたのが発見されたから(写真内右上)


宮殿の給水システムがおもしろい

雨水を溜めて使う上水。使用後の水をトイレにもつかっていたので「水洗でした」とガイドさんが解説する。

**
イラクリオンの博物館にも見るべきホンモノがたくさん収蔵されている。

↑蜂二匹が蜜の球を抱えているブローチ?耳飾り?は、現代でもじゅうぶん通用するデザイン。
↓これはぜんぶホンモノのフレスコ画。20世紀のはじめの女性たちの服装と変わらない↓

↓イノシシの牙をあつめてつくられた兜

※↓下はアテネ考古学博物館に収蔵されている同様のもの↓


↓見つかった文字のなかで最も古く、解読されていない「フェイストスの円盤」

この遺跡からは「線文字A」「線文字B」二種類も見つかっていて、その解読に至るストーリーがおもしろい。

↓宗教祭事をしている女神と推察されている「蛇女神」

地震の多いギリシャでは地中にいる蛇を地震の神とみていたと推察されている。

遺跡から発掘された貴重なものを収蔵する博物館が遺跡の近くにあることは普通ではない。
20世紀はじめならばこれらが大英博物館やルーブルにあっても無理からぬ時代だ。

宮殿の敷地内に見つかった↓世界最古の舗装道路とされる「王の道」

少し離れた王の住まいだったかと推察されている「離宮」につながっていた。
この周辺にはまだまだいろいろなモノが埋まっているだろう。

遺跡が完全に発掘されることはまず、ない。
土地には現在の所有者があり畑や建物がある。

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