旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ヨハネの黙示録が書かれたパトモス島

2020-04-20 06:26:42 | ギリシャ
2007年、2011年《手造の旅》ギリシャ二回の旅の写真を併用してお送りします

パトモス島が近づくと丘の上に要塞のような修道院が見えてくる。
誰でもあそこまで行きたくなるけれど、歩くのでは時間が足りない。停泊時間制限もある。

クルーズ船の主催する英語ツアーに参加するのもよいけれど、大人数で外国語の解説を聴くのは辛い。↑自習しておいて港で待っているタクシーをチャーターすることにした↑上の写真で右上に見える「6」番を覚えておいて同じ車行き来する。
↓見所は二ヶ所、丘の中腹にある「聖ヨハネの洞窟」を先に訪れる↓

キリストが処刑された後、いちばん若い弟子だったヨハネは聖母マリアと共に今のトルコ・エフェソス遺跡の近くに移り、そこで聖母マリアをおくる。その後、キリスト教布教の罪によって流刑地のパトモス島にながされ、この奥にある洞窟にすんでいた。

黙示録の最初にパトモスの名前が出てくる。
そこで、神の声を聴き振り返るとその姿を見た。神の声があまりにおおきかったので洞窟の天井が三つに割れたと書かれているのだが、たしかに大きく二つのひび割れがあった。※昔撮影した写真がみつかったら載せます

↑入口上のモザイクに、神の言葉を一生懸命書きとっているヨハネが画かれている↑
キリスト教が公認された後のビザンチン(東ローマ)時代にここは教会となった

ふたたびタクシーに乗り修道院まで行く。
「要塞」の門をくぐると中庭になっている

フレスコ画がびっしりと被うナルテクス部分。

古そうに見えるが何度も描きなおされており、現在見られるのは17世紀から19世紀のもの。
↓入口のこの柱は11世紀からここにあるとsれる。1080年東ローマ(ビザンチン)皇帝アレクシオスはパトモス島をクリストドロスに賜り、この修道院が建設された。同じ場所には古代の神殿があり、その上に四世紀の教会の廃墟となってのこされていた。
この柱は古代の神殿か四世紀の教会にも使われていたのかもしれない↓

二階部分にのぼると

船から見えた(最初の写真の)鐘楼が間近だった↓

オスマントルコの支配下ではイスラム海賊による襲撃が脅威だった。
修道院が敵の襲来を見つけると、この鐘を打ち鳴らして修道院の周りホーラの街の住民に避難するように知らせていた。

今はクルーズ船が停泊している入江に海賊船がやってきていたのか。

修道院のまわり・ホーラを歩くのは楽しい

区画整理など不可能な地形







路地の向こうに突然広場

市役所のようだ

**
タクシーで港に戻る。
クルーズ船の夕食もついているけれど、パトモス島で夕食にしよう。

島らしい食材をシンプルに

最後のデザートは?

レモンの皮の蜂蜜漬け(^.^)

テンダーボートで母船に戻る。

コメント
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