kotoba日記                     小久保圭介

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恋する原発

2012年09月01日 | 文学
夜遅く、
「それでも三月は、また」
という、
311の小説のアンソロジーを、
読み終えました。
僕は多和田葉子と村上龍が、
抜群に良かったけれど、
読み終えて、
高橋源一郎の「恋する原発」のことを、
思いました。
あれは、
去年出版された小説ですけれど、
地下鉄の中で読むには、
度胸がいるページばかりでした。
けれど、
今回、
アンソロジーを読んでいて、
「恋する原発」だけは、
異質だ、
と思いました。
これは、
小説は、何をどう書いても良いんだ、
という主張だと、
読み終えてから、
思いました。
たぶん、
当たっていると思います。
311以降、
高橋の言葉で言うなら、
「同調圧力」に、
気を付けよう、
という意味だったと思います。
それも、
緊急に発する必要性があったと、
思います。
そういう読み方で、
「恋する原発」は、
良いと僕は今でも思っています。
こういう時こそ、
自由なんだ、
という思考は、
ラジカルです。

関係ないけれど、
冒頭の谷川俊太郎の詩を、
誰もが、褒めたたえています。
変わらず、完成度が高いと、
思います。
谷川俊太郎の頭の中には、
詩作のソフトがあって、
そこに、「311」「悲しみ」「救い」という、
キーワードを入力して、
自動的、機械的に、
作詩しているんじゃないか、
と思うほどです。
ある意味では、
不思議な詩人です。
「谷川の詩は、金太郎飴だ。どこを切っても同じ」
と朋友の大岡信が、
言っていたのを、
僕はずっと、
忘れることができません。