石段を数える
二十六
苔むした庭に入り
白い急須と白い碗
縁側に座し
抹茶をいただく
小さな庭の角にある桃の木
亭主が
強く柏手を打った
八度鳴らした
時の時
いにしえの熱田台地から
新風が来
庭の外は
海と化し
潮の匂いが桃の木を枯らす
高い波が垣根に打ち寄せ
しぶきをあげる
「もう帰れませんよ」
亭主が言う
二十六の石段は
海に沈み
立ちあがるわたしの背で
「もう帰れませんよ」
亭主が言う
「ここは熱田の地の崎ですから」
振り返ると
白い急須から注がれる湯が滝と化し
白い碗は池と化し
母屋は果てのない深林と化し
「もう帰れませんよ」
亭主は姿を消し
声だけ響く
「いにしえにお住みなさい」
わたしの足指の先から
変色が始まる
緑の色が
足指から昇り
深色となって
体が苔と化し
「もう帰れませんよ」
姿なき亭主の声が深林の奥から響く
背後に波が打ち寄せ
海に倒されたわたしの
間近に迫る
顔がある石
目を瞑り
波の匂いと
深緑の匂いが
渦になる
いにしえの地で
また声が聞こえた
「お帰りなさい」
夜が明けると
わたしは目をひらいた
眼前に六体のお地蔵様
手を合わせて
立っていたわたしの背中をさする手
「どうされた」
亭主が言う
振り向くと
海が消え
二十六の石段が見える
一目散に庭を出て
来た道を戻る
石段を駆け下りる
二十四、二十五、二十六、二十七、二十八
わたしは駆け下りる
石段が終わり
広く明るい林道をゆく
「もう帰れないというのに」
天上から亭主の声がする
時の時
「どうぞ、お茶を点てました」
縁側に座し
白い急須と白い碗
抹茶をいただく
苔むしたわたしの手
苔むしたわたしの口
亭主が廻す糸車
かたかた鳴って
糸車
かたかた廻って
糸車
中天に浮かぶ
機織り機
誰もいぬのに
ぎいばたん
ぎいばたん
宇宙に紡ぐ
苔色の絵柄
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